2007年7月5日(木) 朝刊 1・27面
国、検定撤回また否定/「集団自決」修正
県など6団体要請/文科相、面談応じず
【東京】高校歴史教科書の沖縄戦記述から「集団自決(強制集団死)」への日本軍関与が削除された教科書検定問題で、安里カツ子副知事ら県内の行政・議会六団体代表が四日上京し、文部科学省など関係省庁に検定の撤回を要請した。代表団によると、文科省の布村幸彦審議官は「教科用図書検定調査審議会が決めたことには口出しできない」と述べるにとどめ、撤回を困難視する従来姿勢を堅持した。
安里副知事は要請後の記者会見で県として「集団自決」を含む沖縄戦体験者の新たな証言や、埋もれた戦時資料の調査を検討する考えを明らかにした。また、県議会の仲里利信議長は、文教厚生委員会(前島明男委員長)の全委員が六日に渡嘉敷、座間味両島を現地調査し、「集団自決」体験者への聞き取りなどを実施することを報告した。証言を映像などに記録することを検討している。
伊吹文明文科相は「日程上の都合」を理由に、面談に応じなかった。
会見で、安里副知事は撤回を受け入れない文科省の姿勢に「到底、容認できない。何度でも要請する」と述べ、要請を継続する考えを強調した。
仲里議長は、識者らで構成される審議会の議論が非公開で進む現状を強く批判。「学識経験者(審議会委員)がどういう方でどういう調査をしているのか分からない。委員と体験者による公開討論会をするべきだ」と述べ、審議の過程や検定の根拠を委員自らが明らかにすべきだと主張した。
要請書は「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍による関与なしに起こりえなかったことは紛れもない事実。今回の削除・修正は体験者による多くの証言を否定しようとするものだ」として、検定撤回を求めている。
要請には県と県議会のほか、県市長会、県市議会議長会、県町村会、県町村議会議長会が参加。
代表団の要請を受けた内閣府沖縄担当部局の東良信府審議官は「この問題は一気には解決しない。主張を繰り返すことが重要だ」と助言した。
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県民の声に厚い壁/官邸門前払い「強い落胆」
【東京】「期待した分、強い落胆を感じている」―。高校歴史教科書で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する検定意見を撤回するよう求めた県内の行政・議会六団体による異例の要請行動。県内四十一市町村議会の可決を受け、「全県民の声」(安里カツ子副知事)を訴えた。しかし、文部科学省は従来と同様に“教科書通りの答弁”を繰り返すのみ。「日程上の都合」を理由に伊吹文明文科相との面談は実現せず、首相官邸には足を踏み入れることさえできなかった。
「審議官には申し訳ないが…」
要請終了後、県東京事務所で開かれた記者会見。県議会の仲里利信議長が静かに切り出した。
「しかるべき配慮があって良かったというのが率直な思い。落胆している」とかみしめるように話した。
代表団が求めた文科相への直談判が実現しなかった感想を、記者から問われた回答だった。
文科省の布村幸彦審議官は三十分間の会談で、教科用図書検定調査審議会の決定に政治家も行政も口出しできないとして「理解してほしい」と繰り返すばかり。終始、うつむき加減で口調は静かだったという。
会見で県町村議会議長会の神谷信吉会長(八重瀬町議会議長)は「文科省の壁は厚かった」と苦渋の表情。県市議会議長会の島袋俊夫うるま市議長は検定過程の不透明さに「平和の指標たる教科書が曖昧模糊では、戦争の実相を語り継げない」と強く批判した。
県市長会の大濱長照副会長(
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707051300_01.html
2007年7月5日(木) 朝刊 1面
小池氏、防衛相就任/沖合移動は困難視
【東京】原爆投下を「しょうがない」と発言し引責辞任した久間章生前防衛相の後任として、小池百合子首相補佐官(国家安全保障担当)が四日午後、正式に防衛相に就任した。女性の防衛担当閣僚は初めて。小池氏は、同日夜の就任会見で、日米安全保障体制を基調とすることを強調、最優先課題に在日米軍再編の実施を挙げた。その上で普天間飛行場をめぐって
小池氏は米軍再編について「日米両政府で合意している普天間飛行場の移設、そして在沖米海兵隊のグアム移転をはじめとする再編計画を一日も早く実現していきたい」と意欲を示した。
V字形滑走路の沖合移動については、普天間移設が日米特別行動委員会(SACO)の合意から十年以上経過していることを強調し、「それを始めると時間との関係もある。基本的には日米合意案に基づいて理解を求めていく」と述べた。
その上で沖縄担当相を務めた経験を踏まえ、「日米合意は既にできているということは、名護の方も重々ご存じだ。沖縄の方を知った上で防衛大臣を務める。これまでの知見を活用するということは私の大きな役割だろうと思っている」と述べ、地元説得に自信をのぞかせた。仲井真弘多知事が公約に掲げる「普天間飛行場の三年以内の閉鎖状態」については「十年という年月がたっている中で『三年以内』という思いが出てきたこともよく分かる」と述べるにとどめた。
小池氏は同日午後、皇居での認証式、安倍晋三首相からの辞令交付を経て正式に就任した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707051300_02.html
沖縄タイムス 社説(2007年7月5日朝刊)
[ヘリパッド移設]
「押し付け」でいいのか
米軍北部訓練場の一部返還に伴う
着工に反対する地元住民らは前日から座り込みを始めていたが、住民の目をかいくぐるように、翌日の早朝、業者のトラックが進入路に入り、二カ所に金属製ゲートを設置した。
施設局は作業終了後に、
ヘリパッド移設に伴い、ヘリ騒音などの直接の被害を受けるのは近隣の住民たちである。輸送ヘリの垂直離着陸機MV22オスプレイへの更新も取りざたされる中で、地元の人たちが不安を抱くのは当然ではないか。
いかに反対の声が強かろうと、少なくとも地元には事前に通知し、説明をしておくのが筋だったのではないか。
ヘリパッドの移設問題は一九九六年十二月のSACO(日米特別行動委員会)最終報告が発端になった。
北部訓練場の過半を占める約三千九百八十七ヘクタールを二〇〇二年度末までをめどに返還することが明記されたが、返還条件のヘリパッド移設、希少動植物の調査などの関係で返還が遅れた。
当初七カ所のヘリパッドの北部訓練場残余部分への移設が返還の条件だった。日米合同委員会は〇六年二月、六カ所に減らすことで合意した。
当初はヘリパッド移設に反対していた
この問題の経緯を見ると、ヘリパッド建設予定地に近く、反対姿勢を明確にしてきた
ヘリパッドは人口百五十人余の高江区を取り囲むように造られる。地元の人々の日々の暮らしに甚大な影響を与えずにはおかないだろう。
現に住民の中には引っ越しを考えている人もいるという。小規模の地域にヘリパッドの移設を押し付けるだけでは問題の解決にはつながらない。
SACO合意は地元の頭越しに決まった。後は受け入れを迫るだけだ。新ヘリパッドがどう運用されるのか、明らかにされていない。なぜ六カ所も必要なのか、理由も検証されていない。
環境破壊への懸念も消えない。ヘリパッド新設で基地機能は強化される。振興策などと引き換えに移設を受け入れるだけでは地域の展望は描けない。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070705.html#no_1
琉球新報 社説
検定意見撤回要請 軍命の事実は消せない
日本軍による「集団自決」強制の記述を削除するよう求めた文部科学省の高校歴史教科書検定の撤回を県、県議会、県市長会、県市議会議長会、県町村会、県町村議長会の各代表が文科省などに要請した。
文科省の布村幸彦審議官は「教科用図書検定調査審議会が決めることであり、理解していただきたい」とし、検定意見の撤回を拒否した。
戦前は国定教科書で国民を戦争へと駆り立てたこともあり、審議会の独立性を確保することは重要である。しかし、それは審議会が十分に機能していることが前提である。
文科省職員の教科書調査官が教科書の記述内容を調査し、合否方針や検定意見の内容をまとめ、審議会に諮問するが、ほぼ原案通りに答申されることが多いといわれる。審議会の形骸(けいがい)化が指摘される状況にある。
しかも、歴史的事実に基づいておらず、公正な検定が行われたとは認められない。「理解を」と言われても理解できるはずがない。
教科書調査官は、大阪地裁で争われている「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟」の原告の意見陳述を検定意見の参考資料にしている。これまでの沖縄戦研究者の蓄積を無視し、著しくバランスを欠いた検定意見と言わざるを得ない。
多くの住民が集団自決の軍関与を証言している。今回の検定意見は歴史を歪曲(わいきょく)するものである。
それを正すのは政府の務めである。文科省が誤りを放置することは許されない。
改正学校教育法の教育目標に盛り込んだ「国を愛する心」を育てる一環として「軍命」の削除があったのではないかとの疑念もわく。
安倍晋三首相は著書で「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ」と述べている。それを達成するためには歴史としっかり向き合い、子どもたちに伝えることが不可欠である。
政府に提出した要請書は「正しい過去の歴史認識こそが未来の道標になる」と指摘している。それを政府は受け止めるべきである。
要請団は伊吹文明文科相か副大臣、政務官との面談を求めたが、実現しなかった。県議会をはじめ、全41市町村議会が可決した検定意見の撤回を求める意見書は歴史的事実を踏まえたものであり、撤回要求は県民の総意である。その重みを軽く見てはいないか。
軍命削除は歴史教育に大きな汚点を残すことになる。軍命によって多くの命が失われた事実を消すことはできない。
歴史的事実を「自虐的」とする流れを止める必要がある。正しい歴史認識に基づく日本軍関与の記述復活に全力を挙げ、次代に歴史を引き継ぐことが県民の務めである。
(7/5 9:54)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25192-storytopic-11.html