沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月2日)

2007年7月2日(月) 朝刊 1・23面

 

県内関係者も批判・危ぐ/防衛相「原爆発言」撤回

 

 久間章生防衛相は一日昼、長崎県島原市内で記者会見し、原爆投下を「しょうがない」とした前日の講演での発言について「原爆は許せないという気持ちは微動だにしていないが、ああいう報道のされ方をするのは私の言い方にもまずい点があった。国民、被爆者の方に申し訳なかった」と陳謝した。また「これから先は講演でやったような話はしない」と事実上、発言を撤回した。

 

 

 県内の被爆者でつくる県原爆被爆者協議会の安里盛繁理事長(78)は、十六歳の時に長崎で被爆した。「核武装に向けて、国民の核アレルギーを弱めたいという本音が表れた発言。なかったことにはできない。撤回するなら辞めるべきだ」と批判した。

 

 

 県原水協の理事長を長く務めた福地曠昭さん(76)は「冷戦思考のまま、米国をかばったつもりだろう。今徹底的に声を上げなければ、再び沖縄に核が貯蔵されるような時代に戻りかねない」と、危機感を募らせた。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707021300_01.html

 

 

 

 

 

2007年7月2日(月) 朝刊 23面

 

高江区民ら座り込み/ヘリパッド着工を警戒

 

 【東】「新たな基地建設はさせない」―。米軍北部訓練場の一部返還に伴い、那覇防衛施設局が七月からの工事実施を表明している東村高江区へのヘリパッド移設問題で、同区では二日早朝から、移設に反対する地元住民や市民団体のメンバーらが座り込みをし、工事の着工を警戒する。

 

 

 反対行動に取り組む伊佐真次さんは「基地建設を許すと、子どもたちに申し訳ない。何とかして止めたい」と話している。

 

 

 佐藤勉那覇防衛施設局長は六月二十八日の定例記者懇談会で、「本年度はN―4地区とH地区を整備する」と発表しており、座り込みはN―4地区の入り口付近で行われる見通し。同地区は高江集落に最も近い移設予定地。

 

 

 移設に反対する住民たちは、宿泊所を併設した監視小屋の設置作業を進めており、村外からの参加者も募っている。

 

 

 ただ区内では、「絶対反対」を訴える住民のほかに、移設反対に慎重な住民もおり、座り込みの規模は未確定だ。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707021300_05.html

 

 

 

 

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月2日朝刊)

 

 

[久間防衛相発言]

 

被爆者の心忘れたのか

 

 久間章生防衛相が、米国の原爆投下について「長崎に落とされて悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている」と発言した。大学での講演の中である。

 

 

 米国が原爆を投下したのは、旧ソ連の日本への参戦を食い止めるための側面があるとの見方を示したものだ。

 

 

 だとしても、それで、米国の原爆投下が正当化され得るものでは決してないはずである。一定評価されるものでもない。

 

 

 政府は、久間発言について米国の当時の考え方を紹介しただけで、問題はないと早速火消しにかかっている。久間防衛相も、原爆投下を止められなかった当時の日本政府への批判が真意だと釈明している。

 

 

 政治家による放言、暴言の類は、それこそ枚挙にいとまはないが、それにしても防衛省を率いる大臣の発言がこんなに軽く、見識に欠けるものでいいのだろうか。

 

 

 相手が大学生だから軽くと考えたのであれば大間違いで、むしろ自らの底の浅さを露呈したというしかない。

 

 

 今年の八月九日、長崎は被爆から六十二年の原爆の日を迎える。

 

 

 去る四月、凶弾に倒れた長崎市の伊藤一長前市長は昨年のこの日、「人間はいったい何をしているのか。長崎では怒りといら立ちの声が渦巻いています」と、核軍縮が一向に進まない世界情勢に怒りを示す平和宣言をした。

 

 

 被爆者の記憶をしっかりと語り継ぎ、国際社会に強いメッセージを放ち続けなければ、核廃絶は実現しないという被爆地の危機感を率直に表したものである。

 

 

 防衛相は長崎県出身だ。長崎の悲劇を知らないはずはなく、記憶の風化へ立ち向かうべき立場の人だろう。

 

 

 だが、「しょうがない」という発言からは、二度とあの悲劇を繰り返してはならないという決意が、みじんも感じられない。

 

 

 言うまでもないが、政治家にとって「言葉」は自らの政治信条や立場を示す要諦だ。大臣であればなおさらのこと。いかなるときでもその発言には責任が伴う。

 

 

 広島の被爆者も、長崎の被爆者も、世界でまれな体験を持つ者として、原爆の恐ろしさを語り続けている。

 

 

 唯一の被爆国の大臣として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があることに、なぜ気付かないのだろうか。

 

 

 発言は、被爆者への気持ちに思いをはせることもなく、思いやる心をも欠いたものと言わざるを得ない。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070702.html#no_1

 

 

 

 

 

琉球新報 社説

 

原爆投下「是認」 被爆者を踏みにじる暴言/内閣のレベルが問われる

 

 久間章生防衛相が先の大戦での米国の原爆投下について「しょうがない」と発言し、大きな波紋を広げている。原爆投下は、広島と長崎で多くの市民の命を奪い、今なお多くの生存被爆者を苦しめる残虐行為である。世界で唯一その惨状を経験した国の閣僚として、あまりに無神経かつ非常識で、被爆者の気持ちを踏みにじる暴言と言わざるを得ない。

 久間氏は率直に非を認め、発言を正式に撤回すると同時に、被爆者に対して直接謝罪すべきだ。久間氏起用の責任がある安倍晋三首相も、事の重大さを受け止め、責任の取り方も含めて適切な対応を被爆者や国民が納得する形で示してもらいたい。

批判集中の防衛相

 第二次世界大戦末期の1945年8月6日、米国のB29爆撃機は広島市の上空でウラン型原子爆弾を投下した。市中心部の広島県産業奨励館(原爆ドーム)近くの病院上空約600メートルで爆発。爆心地の地表温度は4000度に達し、大量の放射線が発生した。市内の建物の90%以上が焼失または全半壊し、同年末までに推定約14万人が死亡した。

 一方、長崎市には、広島被爆から3日後の9日、B29爆撃機からプルトニウム型原子爆弾が投下された。市の上空約500メートルで爆発、熱線や爆風、放射線で同年末までに約7万4000人が死亡した。翌年以降に亡くなった被爆者も数万人規模に上り、生存する被爆者の多くは、がんなど放射線が原因の健康障害に苦しんでいる。

 今回の久間氏の発言に対し、広島や長崎の被爆者たちからは「地獄絵図だった原爆を正当化するのか」「被爆者の気持ちをまったく理解していない」などと怒りの声が上がった。久間氏は長崎選出の衆院議員で、防衛庁の省への格上げで初代大臣に就任したが「こんな人が政府要人では被爆者救済は難しい」との失望の声もあった。憤りは当然だろう。

 久間氏は発言直後、原爆投下を止められなかった当時の日本政府への批判が真意だと釈明した。しかし、その説明は苦しい。久間氏は講演の中で、原爆投下とソ連参戦の関係などに触れ「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べている。日本政府への批判が真意と言われても、分かりづらい。

 その後も、引責辞任や発言の撤回、訂正を行う考えはないことを強調していたが、批判が収まらないことを受け、あらためて記者会見し「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった」と初めて陳謝、発言を事実上撤回した。ただ、一連の対応を見ると、不本意ながら渋々といった印象は否めない。

重い政府の責任

 首相も首相だ。これだけ批判を浴びている久間氏の発言を「米国の(当時の)考え方について紹介したと承知している」とし、問題はないとの認識を示した。そうであれば、補足した首相の「核を廃絶していくのが日本の使命」という言葉が薄っぺらに聞こえる。

 久間氏の“放言癖”を見識と見る向きもあるが、そうだろうか。最近の年金記録不備問題では

「首相に責任はない。気の毒だ」と述べ、認識不足を露呈している。安倍政権で資質を疑われた閣僚はほかにもいるが、今回は一閣僚の力量的な資質というよりも、内閣のレベルそのものが問われそうだ。

 原爆投下を是認するかのような発言は、適当に謝って済む話ではないだろう。被爆者の気持ちを踏みにじった「罪」は重い。日本は戦後、被爆国として世界に核廃絶を訴えてきた経緯もある。

 昨年夏の「原爆の日」平和宣言で、秋葉忠利広島市長は「人類は今、すべての国が核兵器の奴隷となるか、自由となるかの岐路に立たされている」と指摘。核保有国に対し、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう訴えた。長崎市の伊藤一長市長(当時)も平和宣言で、核軍縮が一向に進まない世界情勢に怒りを示し、核兵器廃絶に向けた「再出発の年」にする決意を表明した。

 未曾有の惨禍を人類の教訓にしたいという広島や長崎の誓いに、水を差してはいけない。被爆国として引き続き国際社会で主導的な役割を果たしていくためにも、政府は今回の問題に明確なけじめをつける必要がある。

 

 

(7/2 10:16)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25113-storytopic-11.html

 

 

 

 

 

2007年7月2日(月) 夕刊 1・5面

 

ヘリパッドあす着手/住民座り込み混乱も

 

 米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村高江区周辺へのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設問題で、那覇防衛施設局は三日早朝に工事着手する方針を固めた。県環境影響評価条例に基づいて二日午後にも県に事前届け出を行い、三日以降、工事用進入路のゲート設置などの作業に着手。その後、施設整備に向けた本格工事を始めるとみられる。移設に反対する周辺住民の一部が座り込みを行っているため、工事阻止行動などの混乱も予想される。

 

 

 県環境影響評価条例三四条は「事業者は対象事業にかかる工事に着手しようとするときは規則に定めるところにより、あらかじめその旨を知事に届出なければならない」と県への事前届け出を規定している。二日午前の段階では施設局から届け出はなく、同日午後に届け出る可能性が高い。

 

 

 施設局は先月二十六日、高江区の道路付近に米軍提供施設と民間地域の区分を示す線を引き、「立ち入り禁止」の看板を周辺六カ所に設置するなど着工に向けた準備を進めていた。

 

 

 佐藤勉局長は先月二十八日の定例記者懇談会で、「七月以降、適切な時期に工事実施したいと考えている。現在、五月中旬から実施している工事着手前の現況調査の内容の最終確認を行っている」と述べ、近く着工する方針を明らかにしていた。

 

 

 施設局は移設される六カ所のヘリパッドのうち、本年度はN―4地区二カ所とH地区を整備する予定。区域ごとに施行する予定だが、本年度施行分は県道70号で分断されているため、同時施行するという。

 

 

 工事に際しては、貴重な動植物に関するデータや作業上の注意事項などをまとめた「保護手帳」をすべての作業員に配布、作業中は常時携帯させる。

 

 

     ◇     ◇     ◇     

 

 

「強行許さぬ」住民結集/東村高江区 30人座り込み

 

 

 【東】「ヘリパッドの工事の強行は許さない」│。米軍北部訓練場の一部返還に伴い、那覇防衛施設局が七月からの工事実施を表明している東村高江区のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設をめぐり高江区の住民ら約三十人が二日午前、移設予定地の入り口付近で着工を阻止するための座り込みを始めた。

 

 

 参加者は午前十時から、米軍提供施設との境界線を示す赤線の前で、集会を開き、「ヘリパッド建設反対」「県民のダムを汚すな」と書かれたボードを掲げて、シュプレヒコールを繰り返した。

 

 

 集会には、名護市辺野古で米軍普天間飛行場代替施設建設に反対するメンバーらも参加した。

 

 

 ブロッコリーの森を守る会の安次嶺現達代表(48)は、「被害を受ける住民に納得できる説明もないまま、強行に工事が進められようとしている。人殺しの訓練をするための施設はいらない。基地の整理・縮小ではなく、明らかな機能強化だ」と憤った。

 

 

 高江区に住む伊佐真次さん(45)は、「県民の水がめであるダムの近くにヘリパッドが造られようとしている。県民全体の問題として、多くの人に関心を持ってもらいたい」と呼び掛けた。

 

 

 一方、集会に参加しなかった仲嶺武夫区長は「五月の代議委員会で、ヘリパッド移設に関し区として、阻止行動まではしないと決めたので、それに従って、行動するしかない」と話した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707021700_01.html

 

 

 

 

 

2007年7月2日(月) 夕刊 1面

 

県、あす基地立ち入り/米軍油流出

 

 米空軍嘉手納基地内で大量のジェット燃料が流出した問題で米空軍は、三日午前十時からの基地内での土壌入れ替え作業に県と那覇施設局職員が立ち会うことを許可した。防衛施設局が二日午前、県環境保全課に通知した。県が求めた土壌などのサンプル採取は認められていないが、県は立ち入る方針だ。

 

 

 県環境保全課は先月七日に米軍から基地内立ち入りを認められたが、土壌などのサンプル採取を拒否され、目視確認にとどまっていた。このため、土壌や水のサンプル採取を含む基地内調査を再申請していた。

 

 

 同基地は原状回復に向け、取り除いた土壌を基地内の舗装された場所に広げ、土壌中の油分を蒸発させる「ランドファーミング法」で浄化する予定。先月十九日から燃料の混入した汚染土壌の除去作業に着手している。

 

 

 米空軍嘉手納基地の第一八航空団司令官のブレット・ウィリアムズ准将は先月二十二日、県庁で仲里全輝副知事と面談し、サンプル採取は許可しない方針を伝える一方、土壌入れ替え作業に県の立ち会いを認める方向で調整していることを明らかにしていた。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707021700_04.html

 

 

 

 

 

2007年7月2日(月) 夕刊 1面

 

久間氏発言 県も問題視

 

 仲里全輝副知事は二日午前の県議会(仲里利信議長)六月定例会一般質問で、久間章生防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて、自宅療養中の仲井真弘多知事の見解として「世界で唯一、原子爆弾の惨禍を受けた被爆国の国民として、また悲惨な太平洋戦争の地上戦を体験した県民を代表する知事として、いかなる理由にせよ、核兵器の使用を容認すると誤解されるような発言は誠に遺憾」との認識を示した。

 

 

 しかし「閣僚の罷免は首相の選任事項であり、出処進退まで言及する立場にはない」と述べた。赤嶺昇氏(維新の会)の質問に答えた。

 

 

 知念建次文化環境部長は、これまで未制定だった廃棄物処理に関する県の指導要綱について「最終処分場や焼却施設の建設計画に対し地域住民、関係市町村から申請段階における地域への情報公開などの要望があり、現在、要綱制定に向けて準備している」と明らかにした。當山弘氏(護憲ネット)への答弁。

 

 

 県内市町村の障害児保育受け入れ状況については、伊波輝美福祉保健部長が「県内の状況を調査した結果、すべての市町村で年齢にかかわりなく障害児を保育所に受け入れていることを確認している」と述べた。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707021700_05.html

 

 

 

 

 

2007年7月2日(月) 夕刊 5面

 

サンゴ保全に人間力大賞/金城浩二さん(沖縄市)

 

 【横浜】日本青年会議所(奥原祥司会頭)の「青年版国民栄誉賞・人間力大賞2007」の式典・祝賀会が一日横浜市内であり、サンゴを移植するなど保全・再生活動に取り組む沖縄市の金城浩二さん(37)がグランプリに輝いた。日本青年会議所によると、県内からのグランプリ受賞は初めて。

 

 

 金城さんは海中生物の養殖などを行う「海の種」の代表を務める傍ら、北谷町沖合でのサンゴの移植をはじめとした普及啓発活動で、環境保護意識の向上に努めたことが評価され、内閣総理大臣奨励賞、環境大臣奨励賞も併せて受賞した。

 

 

 金城さんはグランプリ受賞に涙で声を詰まらせながら、「最初は誰も認めてくれずつらかった。サンゴをよみがえらせたいとの思いを信じ続けてずっと踏ん張ってきただけに、今日は自分の仕事に確信を持てた。皆が少しでも海のことに気付き、行動してもらえるようになればいいと思う」と喜びを語った。

 

 

 「人間力大賞」は、文化・芸術・福祉・スポーツなどの活動を積極的に実践している二十歳から四十歳までの「光り輝く傑出した若者たち」の栄誉をたたえており、今回で二十一回目を迎える。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707021700_06.html

沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(6月29日、30日、7月1日)

2007年6月29日(金) 朝刊 2面

 

ヘリパッド近く着工

 

 那覇防衛施設局の佐藤勉局長は二十八日の定例記者懇談会で、米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村高江区周辺へのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設について「七月以降、適切な時期に工事実施したいと考えている。現在、五月中旬から実施している工事着手前の現況調査の内容の最終確認を行っている」と述べ、近く着工する方針を明らかにした。

 

 

 移設される六カ所のヘリパッドのうち、本年度はN―4地区二カ所とH地区を整備する予定。区域ごとに施行予定だが、本年度施行分については、県道70号で分断されているため、同時施行するという。工事に際しては、すべての作業員に貴重な動植物に関するデータや作業上の注意事項などをまとめた「保護手帳」を配布、作業中は常時携帯させるという。

 

 

 また、嘉手納基地内で大量のジェット燃料が流出した問題について佐藤局長は、来週前半にも土壌入れ替え作業に、県と施設局職員が立ち入りできるよう米軍と調整中であると明らかにした。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706291300_06.html

 

 

 

 

 

沖縄タイムス 社説(2007年6月29日朝刊)

 

 

[「集団自決」意見書]

 

示された「県民の総意」

 

 高校歴史教科書の文部科学省の検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除、修正された問題で、検定意見の撤回を求める意見書が県議会をはじめ、県内四十一市町村の全議会で可決された。

 

 

 五月十四日の読谷村議会が「賛成多数」、それ以外は「全会一致」で足並みをそろえた。

 

 

 全市町村での意見書可決は、二〇〇四年の沖国大への米軍ヘリ墜落事故で抗議決議・意見書を可決して以来だという。

 

 

 意見書は「沖縄戦における『集団自決』が『軍による強制・強要・命令・誘導等』なしには起こり得なかったことは否定することのできない事実」などと指摘している。

 

 

 全市町村議会が自主的に検定意見の撤回を求めたことは、地方自治と主権在民の立場から国への「異議申し立て」であることは言うまでもない。

 

 

 「史実を正しく伝え、二度と戦争を繰り返してはならない」という地域住民の思いがそのまま反映され「県民の総意」が強く打ち出されたといえる。

 

 

 県議会は当初、最大会派の自民党が党内で意見が折り合わなかったものの、最終的に「日本軍による関与があった」という点で一致した。全県民の声が集約され、一つのうねりとなって可決を後押ししたといえよう。

 

 

 政府・文科省は、この県民の総意を真摯に受け止め、検定の撤回と記述の回復を速やかに図ってもらいたい。

 

 

 文科省は、今なお「軍による直接的な命令があったかどうかは不明確。『強いられて』という表現は高校生には命令があったように誤解される」というが、それでは「集団自決」の事実がうやむやにされてしまいかねない。

 

 

 確かに、日本軍の直接の命令が渡嘉敷、座間味、慶留間の各島であったかどうかは定かでないし、大阪地裁で係争中の民事訴訟で当時の指揮官が命令の事実を否定するなどの動きもある。

 

 

 だが、言葉による命令があったかどうかということが、日本軍が「強いた」とみるかどうかを決定づけるものでは必ずしもないはずだ。

 

 

 当時の皇民化教育や軍国主義社会、さらに戦時下の極限状態の中で「いざという時は自決するように」と日本兵が手りゅう弾を配ったことには多くの住民の証言がある。

 

 

 少なくとも、広い意味での日本軍の関与、軍の圧力があったのは紛れもない事実といえる。

 

 

 歴史の事実は一つであり、変えられない。正しい歴史を示すことが未来への道標となる。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070629.html#no_1

 

 

 

 

 

琉球新報 社説

 

「撤回」要求決議 県民は軍命削除を許さない

 

 来年度から使用される高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制に関する記述が修正・削除された問題で28日、国頭村議会が「検定意見の撤回」を求める意見書を全会一致で可決した。これで県内41全市町村で撤回決議が可決された。

 先の県議会の撤回決議も含め、「検定意見の撤回」要求が、名実ともに「県民総意」となった。

 意見書で国頭村議会は「体験者による数多くの証言や、歴史的事実を否定しようとするもの」と批判している。県、他市町村の意見書も同様の趣旨だ。

 広大な米軍嘉手納基地を抱える嘉手納町は、基地被害にも触れ、戦後世代が増え、戦争体験者の減少が進む中で沖縄戦の実相を伝えることの大切さを指摘している。民を苦しめる「軍隊」の問題は、日米の国の違いはあれ、沖縄ではいまも続く「歴史」である。

 沖縄戦を直接体験した歴史の証言者が沖縄にはまだまだ健在だ。一部の研究者や官僚たちが「軍命があったとの明確な証拠はない」と言い張っても、「集団自決」で肉親を失った体験者たちの口は封じられない。

 賛成多数の読谷村を除く40市町村議会が、全会一致での「撤回」要求の可決だ。全議会の決議を、国は重く受け止めるべきだ。

 文科省は県の仲村守和教育長の撤回要請に、「集団自決で日本軍が関与したと思う」(布村幸彦審議官)と認めている。だが、検定意見の撤回には「政治家は口出しすべきではない」(伊吹文明文科相)として、応じる気配がない。

 文科相には教科書検定意見に対する「正誤訂正の勧告権」があると研究者は指摘している。政治の介入で改ざんされた教科書は、「正確な史実」によって是正されるべきである。だが、史実を突きつけ、史実を認めさせても、なお是正を拒む政治がそこにある。

 いまなぜ歴史教科書から「軍命」を削除しなければならないのか。ここ数年、国民保護法などの有事法制が整備されている。防衛庁の省昇格、集団的自衛権の行使に関する有識者懇の発足、米軍と自衛隊の融合を進める米軍再編特措法、憲法改正を狙う国民投票法の成立と続く。

 一連の政府の動き、政治の流れに「新たな戦争準備」を警戒する声もある。その動き、流れの中に、教科書検定問題がないか。

 悲惨な戦争を二度と日本が繰り返さないためにも、議会決議を県民運動に広げ、政府が歴史の史実を正しく後世に伝えるよう、強く求め続けたい。

 

 

(6/29 9:32)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25016-storytopic-11.html

 

 

 

 

 

2007年6月29日(金) 夕刊 7面

 

入港強行で質問状/与那国町長、外務省に送付へ

 

 【与那国】与那国町の祖納港に米海軍掃海艇二隻が入港した問題で、外間守吉町長は入港の目的を「友好親善」としながら「県の自粛」、「町長の反対」を無視する形で強行に入港した理由など十項目の質問を外務省北米局長に郵送する考えを固めた。入港の賛否をめぐり町内に混乱を招き、町民間に亀裂としこりが残ったことについての同省の見解も求めている。

 

 

 近く石垣市内で記者会見を開き、来週にも文書を郵送する予定。

 

 

 外間町長は「(外務省が説明するように)日米地位協定で定められているから入港できる、では済まされない。相手方が拒否する権利のない友好親善とは何か。政府として説明責任がある」と述べた。

 

 

 質問は、「開港ではない祖納港に入港するほどの重大な緊急性、必要性があったのか」「当初計画していた石垣港への入港は与那国町長の反対表明を無視して祖納港に入港したのはなぜか」―など。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706291700_05.html

 

 

 

 

 

2007年6月30日(土) 朝刊 24面

 

虐待通報記録せず/コザ児相 米国籍児死亡で

 

 うるま市で今年四月、米国籍の男児(8)が死亡した事件で、昨年十一月に男児を保護した市民がコザ児童相談所とうるま署に児童虐待の疑いがあると通報していたことに関連し、県の伊波輝美福祉保健部長は二十九日、「いくつかの課題や問題点があった。今後、外部専門家の意見を聴き、米軍人や外国人の相談の在り方も検討していく」との考えを明らかにした。

 

 

 同日行われた県議会六月定例会の一般質問で、兼城賢次氏(護憲ネット)の質問に答えた。

 

 

 また、伊波福祉保健部長は市民からの通報があった際の同所の対応について「夕方の勤務外で受付相談員がいなかったため、職員は所定の様式ではなくメモ用紙に記録した。本来ならメモを電話相談受付簿に記録すべきだが、それがなされず、記録として残っていない」と述べた。

 

 

 さらに、今後の児童虐待防止の取り組みについては「基地内の関係機関とのネットワークがないため、連絡会議を開催するなど連携を図りたい」との考えを示した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706301300_08.html

 

 

 

 

 

2007年6月30日(土) 朝刊 24面

 

東門市長/特派員に基地被害訴え

 

 【東京】東門美津子沖縄市長は二十九日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し、米軍嘉手納基地から派生する基地被害などを説明した。この中で米軍人などによる事件が多く発生していることについて「中でも女性や子どもたちの被害は痛ましく、基地ある故の人権蹂躙は今なお沖縄の人々の心に深い傷跡を残している」と指摘した。

 

 

 こうした基地問題を踏まえて、「子どもが子どもらしく生きられる世界を求めて、大人たちに平和の構築を訴える」同市の取り組みとして、〇五年からキジムナーフェスタを開催、三回目が七月二十一日に開幕することもアピールした。

 

 

 東門市長はF15戦闘機の未明離陸による騒音被害やジェット燃料の流出事故などを挙げ、在日米軍再編について「基地機能の強化が優先される状況にあり、市民の不安と負担が増していることは極めて遺憾」と強調した。

 

 

 東門市長は「世界が失ったもの、大人たちが置き去りにしてきたものをすくい上げ、子どもたちの前に広げて見せる必要がある」と訴え、キジムナーフェスタ開催の意義を強調した。

 

 

 外国メディア約十社が参加した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706301300_09.html

 

 

 

 

 

2007年7月1日(日) 朝刊 27面

 

沖教組、検定撤回要求を決議/「集団自決」修正

 

 【北中城】沖教組(大浜敏夫委員長)の第四十三回定期大会が三十日、北中城村立中央公民館で開かれた。高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から、日本軍の関与が削除された問題で、「沖縄戦での日本軍による『集団自決』強制の事実を歪めた教科書検定に抗議し、検定意見の撤回を求める決議」を採択した。

 

 

 決議では今回の検定が日本軍による誘導と強制の事実を隠し、住民が自発的に自決したかのように書き直されたことは、日本軍による住民への加害を否定しようとするものであり、「戦争のできる国」づくりに導いていこうとする意図が見えると強く批判。

 

 

 沖縄戦の実相を子どもたちに伝えるため、沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定意見を直ちに撤回することを求めている。あて先は文科相と首相。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707011300_02.html

 

 

沖縄タイムス 関連記事、社説(6月27日、28日)

2007年6月27日(水) 朝刊 1面

 

「普天間」運用改善 効果疑問視/県議会代表質問

 

公室長「抜本対策を」

 

 

 県議会(仲里利信議長)六月定例会は二十六日午後も代表質問が行われた。米軍普天間飛行場の危険性除去について、上原昭知事公室長は「政府は移設までの間、運用改善による危険性の除去を検討していると聞いているが、県としてはより抜本的な対策が必要」と述べ、運用改善では不十分との見解を表明した。

 

 

 普天間飛行場の代替施設建設に伴う環境影響評価(アセスメント)手続きについて、上原知事公室長は「環境影響評価の手続き前に、政府の誠意ある姿勢が示されることが必要」と指摘。

 

 

 県が求める三年をめどにした普天間飛行場の閉鎖状態の確保や、代替施設滑走路の沖合移動に関し、政府の踏み込んだ対応が方法書受託の前提条件との認識をあらためて示した。

 

 

 入院中の仲井真弘多知事に代わって答弁した仲里全輝副知事は、仲井真知事が予定していた尖閣諸島視察について、「今後の視察予定は、日程確保が難しい状況が続いているが、適当な時期に視察したいというのが知事の考え」と述べた。

 

 

 大平修県警本部長は、米軍人軍属による飲酒運転の摘発状況について「二〇〇六年は飲酒運転による人身事故が十件発生し、八十四件摘発された。人身事故は前年比で六件、摘発も十三件増えた。今年五月末までの摘発件数は四十二件で前年同期より九件増えた」と、増加傾向にある状況を説明した。

 

 

 いずれも親川盛一氏(自民)への答弁。

 

 

 代表質問二日目の二十七日は、平良長政氏(護憲ネット)、渡嘉敷喜代子氏(同)、金城勉氏(公明県民会議)、当山全弘氏(社大・結連合)の四氏が登壇する。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706271300_03.html

 

 

 

 

 

2007年6月27日(水) 朝刊 2面

 

ヘリパッド移設「反対意思変わらず」/並里区基地委が強調

 

 【金武】金武町の米軍ギンバル訓練場返還問題で、儀武剛町長は二十六日、並里区基地問題調査特別委員会(宮平良英委員長)にブルービーチ訓練場へのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の移設を受け入れた経緯などを説明した。宮平委員長は「区はこれまでに二回反対を決議しており、反対の意思は変わらない」と強調。北部訓練場の一部返還に伴うヘリパッドの移設に反対している東村高江区などと意見交換しながら、対応を協議する方針を明らかにした。

 

 

 儀武町長は「苦渋の決断だったが、返還を受け入れないと、現状を放置してもいいとのメッセージになる。ギンバルとブルービーチ内三カ所で行われている訓練は一カ所になるので、負担軽減になる」と説明。その上で「基地経済から脱却し、自立経済の確立と若年層の雇用確保のためにも、跡地利用は重要だ」と強調した。

 

 

 委員からは、飛行ルートや夜間飛行について防衛省から説明がなく、ブルービーチ内のヘリパッド移設予定地以外でも訓練に使われる可能性があるのではないかなど、反発や不安の声が上がった。儀武町長は「七月中旬ごろには上京したいので、それまでに説明しながら調整を続けていく」と述べた。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706271300_04.html

 

 

 

 

 

2007年6月27日(水) 朝刊 2面

 

与那国寄港は「安保上重要」/米掃海艇で政府答弁書

 

 【東京】政府は二十六日に閣議決定した答弁書で、米海軍掃海艇二隻の与那国町への寄港について「米軍の円滑かつ効果的な活動を確保し、日本と米国との相互協力および安全保障条約の目的達成のため極めて重要」との見解を示した。照屋寛徳衆院議員(社民)の質問主意書に答えた。(一部地域既報)

 

 

 同町は台湾との交流促進を目指し、クリアランス船などの入港に関する要件緩和を盛り込んだ「国境交流特区」構想を国に申請しているが、安全上の理由などで却下されている。

 

 

 照屋氏は、台湾からのクリアランス船の入港は拒み、一方で米海軍掃海艇の入港を認めた理由をただした。

 

 

 答弁書は「台湾からの船舶についても、関税法および検疫法の規定に基づく許可を受けて入港することは可能」とし、あくまで現行法の枠内で対応できるとの見解にとどまった。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706271300_05.html

 

 

 

 

 

2007年6月27日(水) 夕刊 1面

 

ヘリパッド来週着工 施設局方針

 

高江区長、反発

 

 

 【東】米軍北部訓練場の一部返還に伴い、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)六カ所が東村高江区周辺に移設される問題で、那覇防衛施設局が来週にも工事に着手する方針であることが二十七日、分かった。同区の仲嶺武夫区長は「地元区民との話し合いは十分ではない。騒音軽減の具体策の提示もないまま着工することは認められない」と強く反発している。

 

 

 高江区の道路付近には二十六日、米軍提供施設と民間地域の区分を示す赤いペイントの線が引かれた。日本語と英語で「立ち入り禁止」と書かれた看板も約六カ所に設置され、着工に向けた準備が始まった。

 

 

 仲嶺区長は「看板設置の連絡はない。施設局は騒音などの影響は、(ヘリコプターの)運用面でカバーすると説明しているが、具体的な解決策をどう講じるのかは示されていない。国はもっと住民と話し合いを持ってほしかった」と驚きを隠せない様子で話した。規制現場を早急に確認、近日中に区の代議員を召集し、今後の対応を話し合う。

 

 

 区民が提出した工事車両の出入りに伴う騒音など、周辺環境に与える影響についての質問に対しても国から回答はない、という。地元の移設に反対する住民らは、監視小屋を設置するなど移設反対の運動を行う。

 

 

 施設局は東村や高江区に、ノグチゲラなどの鳥類の繁殖時期を避けた七月から本格工事に着手する方針を伝えていた。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706271700_01.html

 

 

 

 

 

2007年6月27日(水) 夕刊 1面

 

サンゴ損傷 問題視せず/県議会で土建部長

 

辺野古現況調査

 

 

 県議会(仲里利信議長)六月定例会は二十七日午前、二日目の代表質問が行われた。米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う海域の現況調査で、那覇防衛施設局が調査機器の設置作業中、サンゴを損傷したことについて首里勇治土木建築部長は「サンゴの着床具はサンゴが密に生息している地域ではなく、その周辺に設置している。サンゴの生育環境に大きな影響を与えるものではない」と述べ、問題視しない考えを示した。渡嘉敷喜代子氏(護憲ネット)への答弁。

 

 

 首里部長は公共用財産使用協議の同意書の藻場・サンゴ類などへの配慮事項で「調査機器設置作業中における藻場・サンゴ類の踏みつけによる影響をできるだけ避けること」としている点を挙げ、「配慮事項は守られているものと考えている」との認識を示した。

 

 

 嘉手納基地内で大量のジェット燃料が流出した問題で、上原昭知事公室長は、米軍が県の調査や検査は必要ないと判断したことに「県民の不安に対する配慮が欠けていると言わざるを得ない。県土の生活環境を保全するためには客観的かつ科学的な環境調査が重要」とし、土壌撤去時の立ち入りを求めていることを明らかにした。

 

 

 社会保険庁の年金記録不備問題について、伊波輝美福祉保健部長は「基礎年金番号に結び付いていない約五千万件の記録をこのまま未処理で放置し、万が一にも受給漏れが発生しては年金制度に対する国民の信頼が崩れる」とした上で、「一刻も早く国において、信頼回復のための方策を講ずることが必要」との認識を示した。平良長政氏(護憲ネット)の質問に答えた。

 

 

 午後は金城勉氏(公明県民会議)、当山全弘氏(社大・結連合)が登壇する。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706271700_04.html

 

 

 

 

 

2007年6月27日(水) 夕刊 1面

 

F15嘉手納に緊急着陸

 

 【嘉手納・宜野湾】二十七日午前九時五十分ごろ、米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機一機が同基地に緊急着陸した。基地内の消防車などが出動したが、放水はなく、同機は約三十分後にけん引されて格納庫に移動した。その間、滑走路は閉鎖され、訓練中だった別のF15戦闘機二機が普天間飛行場へ着陸した。

 

 

 目撃者によると、緊急着陸したF15戦闘機は沖縄市側から南側滑走路に進入。滑走路に張られたワイヤに機体のフックを引っ掛けて停止した。着陸後、緊急車両や整備要員に囲まれ、一時騒然とした。

 

 

 宜野湾市基地渉外課などによると、同日午前十時四十分ごろ、F15戦闘機二機が普天間飛行場駐機場で給油しているのが確認された。嘉手納基地報道部は「予防的な着陸で、機体にトラブルはなかった」と説明。普天間飛行場に着陸した二機については「一時的な着陸で、用意が整い次第(嘉手納基地に)戻る」としている。同日午前十一時すぎには、韓国クンサン基地所属のF16戦闘機一機が嘉手納基地に緊急着陸した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706271700_05.html

 

 

 

 

 

2007年6月28日(木) 朝刊 26面

 

沖縄のジュゴンCGに/WWFジャパン

 

 ジュゴンを知ってもらおうと、世界自然保護基金(WWF)ジャパンは名護市辺野古や大浦湾の海底の様子を「ジュゴンの視点」から再現したCG映像を制作した。ホームページ上などで公開、「二〇一〇年を国際ジュゴン年に」と呼び掛ける。

 

 

 海底の地形は、WWFジャパンの調査を基に再現した。太陽が差し込む中、海草が揺れ、サンゴの周りを熱帯魚が泳ぐ様子が楽しめる。

 

 

 WWFジャパンの町田佳子さんは「都市部では沖縄のジュゴンは知られていない。消えようとしている動物を身近に感じてほしい」と話す。

 

 

 ポストカードなども用意、送料以外は無料で提供、ジュゴン保護の機運を盛り上げる。CGは制作協力したエーティーエムケーのホームページで見られる。アドレスはhttp://atmk.art-studio.cc/dugongpr/

 

 

 問い合わせは町田さん、電話03(3769)1713。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706281300_10.html

 

 

 

 

 

沖縄タイムス 社説(2007年6月28日朝刊)

 

 

[慰安婦決議案]

 

歴史認識への問い掛けだ

 

 米下院外交委員会が、第二次大戦中の従軍慰安婦問題で日本政府に責任を認め公式に謝罪するよう求める決議案を賛成多数で可決した。

 

 

 決議案は、「慰安婦制度は日本政府による強制的な売春」「日本政府は、日本軍が女性を性的奴隷にしていないとの主張の誤りをただすべきだ」などとし、元慰安婦に対する国際社会の声に配慮―するよう求めている。

 

 

 政府が最大の友好国とし、同盟国と考える米国議会が突きつけた、安倍晋三首相とその周辺の“歴史認識”への異議申し立てとみていい。

 

 

 法的拘束力はないが、今後の日米関係に影響を及ぼす可能性はある。その行方を注視していく必要があろう。

 

 

 従軍慰安婦問題は、一九九〇年代初めに日韓の問題として出てきた。

 

 

 従軍慰安婦については、沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」とともに旧日本軍の関与や「軍命」があったとするのが通説になっている。

 

 

 元慰安婦として悲惨な体験をした女性らの証言も数多くあり、その声に耳を閉ざしてはなるまい。

 

 

 九三年には、当時の河野洋平官房長官が「心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ち」を表明している。

 

 

 一部で「河野談話」を否定する動きはあったが、それでも村山富一、橋本龍太郎、小泉純一郎前首相らが「談話」を引き継ぎ、謝罪してきた。

 

 

 しかし、安倍首相の根底に「(旧日本軍の)強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」とする考えがあるのは明らかだ。就任当初に「河野談話の見直し」を打ち出したのはそのためだ。

 

 

 中国や韓国をはじめアジア各国から反発が相次いだため、「談話の継承」に転じたが、そのあいまいさが自らの認識や政治信条の間でずれを生じさせたのではないか。

 

 

 とはいえ、「広義の強制性はある」が「狭義の強制性はない」とする論法が説得力を持ち得てないのは誰の目にも明らかであり、決議案はこの主張にも異を唱えたことになる。

 

 

 政府は「米議会の問題」とし静観を装っている。だが、米議会に誤解があるのならなぜ理を尽くして説明を試みないのか。日米関係が重要なのであれば、なぜきちんと対処しようとしないのか、理解に苦しむ。

 

 

 私たちには史実を真正面から受け止めることで、歴史から多くを学ぶ喜びがある。歴史の大切さはそこにこそあるはずだ。米下院の決議は、首相だけでなく私たち一人一人が歴史の事実にどう向き合おうとしているのかを厳しく問うているのだと受け止めたい。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070628.html#no_1

 

 

 

 

 

2007年6月28日(木) 夕刊 1面

 

全41市町村議会 可決/「集団自決」修正意見書

 

 高校歴史教科書の沖縄戦の記述から「集団自決(強制集団死)」への軍関与が削除された教科書検定問題で、国頭村議会と嘉手納町議会は二十八日午前、検定の撤回と記述の復活を求める意見書を可決した。五月十四日の豊見城市議会の決議を皮切りに、県内四十一市町村のすべての議会が同様の意見書を可決。検定の撤回を求める県民の意志をより強く示した。一方、県選出・出身の与党系国会議員でつくる「五ノ日の会」(会長・仲村正治衆院議員)は、党三役に検定撤回を要求したが、中川秀直幹事長らは困難との見方を示した。

 

 

嘉手納・国頭も

 

 

 【嘉手納・国頭】嘉手納町議会(伊礼政吉議長)と国頭村議会(仲井間宗明議長)が全会一致で可決した意見書は「沖縄戦で、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられた県民にとって到底容認できない」「係争中の裁判を理由に、一方の当事者の主張のみを取り上げることは、文部科学省自らが課す検定基準を逸脱する」などと文科省の検定意見を批判。

 

 

 その上で「戦後生まれの世代が増え、体験者の減少化が進むこの時代こそ、史実をねじ曲げ風化させる動きをいさめ、沖縄戦の実相を正しく伝えるとともに、悲惨な戦争を再び起こさせないよう今回の検定意見の撤回を強く要請する」と、速やかな記述の回復を求めている。あて先はいずれも、首相、文部科学相、衆参両院議長。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706281700_01.html

 

 

 

 

 

2007年6月28日(木) 夕刊 5面

 

総意 運動に弾み/修正撤回へ正念場

 

 県内四十一市町村全議会で、沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への軍関与記述復活と教科書検定の撤回を求める意見書が可決された。県民の総意があらためて示されたことに、体験者や運動を進めてきた人々は「勇気百倍」「快挙だ」と喜び、評価する。しかし、文部科学省はかたくなな姿勢を崩さず、記述復活の見通しは立っていない。

 

 

 渡嘉敷島の「集団自決」の現場から生き延びた高嶺繁昌さん(69)は、「こうして周囲で声を上げてくれるのは、私たちにとって勇気百倍。さすが沖縄県民は素晴らしい」と、手放しで喜んだ。「為政者の都合で歴史の真実が右、左に曲げられるのを放置してはいけない」。今後も証言を続け、事実を伝えていくことを誓った。

 

 

 検定撤回に向け運動を推進してきた高嶋伸欣琉球大学教授は、県民世論が明確になったことを喜ぶとともに、「中央政府に対して異議ありと思えば、声を上げる地方自治と主権在民の精神が健在」と高く評価した。また、文科省の拒否姿勢を強く感じつつも「まだ時間はある。自信を持って国内外の世論に働き掛けたい」とした。

 

 

 沖教組の大浜敏夫委員長は「快挙だ」と快哉を叫ぶ。「全県民の怒りの声が集約され、一つのうねりとなって可決を後押しした。全国の子供たちが持たされる教科書。文科省は真摯に受け止めて、検定の撤回と記述の回復を図ってほしい」と求めた。

 

 

 「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」実行委員会は七月九日に会合を開き、今後の運動方針などを決めたいとしている。

 

 

[解説]

 

 

 県議会と県内四十一市町村の全議会が、高校歴史教科書の沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」記述から「軍命」を削除させた検定の撤回と記述の復活を求める意見書を可決したことで、県民の総意が強く打ち出されたといえる。

 

 

 全議会で、足並みがそろうのは難しく、最近では、二〇〇四年の沖国大への米軍ヘリ墜落事故で抗議決議・意見書を可決して以来。今回は、それに並ぶ県民の意志が示された形だ。

 

 

 政府自民党の一部は、県民の反発に理解を示しているが、文部科学省は、県議会や県民大会実行委員会の要請団に対し、一貫して検定撤回は困難という姿勢を崩していない。

 

 

 慰霊の日に来県した安倍晋三首相は、戦没者追悼式のあいさつで、沖縄戦を「悲劇」と表現したが、何が「悲劇」だったのか触れず、教科書問題にも言及しなかった。

 

 

 「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育を進める会」は、現在十三万人分が集まっている署名運動を終息させず継続し、全国に波及させることなどを検討している。県民の総意を背景に、検定の撤回と記述の復活を求める取り組みはこれからが正念場だ。(社会部・安里真己)

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706281700_02.html

 

 

沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(6月25日、26日)

 

2007年6月25日(月) 朝刊 1・23面

 

米軍艦、与那国に寄港

 

県・町の反対押し切る

 

 

 【与那国】米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアン(排水量一、三六九トン)とパトリオット(同一、二五〇トン)が二十四日午後、県内の民間港湾としては初めて与那国町の祖納港に入港、約百二十人の水兵が下船した。外間守吉町長が「反対」を表明、県が使用自粛を日米に申し入れたが、米軍は日米地位協定を盾に入港を強行した。

 

 

 艦内での会見で艦長らは、三日前から米海軍将兵二人が町内に入り、港の水深や水兵のための飲食、娯楽施設などを調査していたことを明らかにした。

 

 

 仲井真弘多知事は同日、「県が民間港湾の使用自粛を要請する中、祖納港を使用したことは遺憾。今後、緊急時以外は民間港湾を使用しないよう自粛を強く求める」との談話を発表した。

 

 

 祖納港には同日午後零時半にガーディアン、午後一時二十分にパトリオットがそれぞれ入港。埠頭の長さが足りないため並行して接岸した。

 

 

 岸壁では町内外から約百二十人が「入港反対」のシュプレヒコールを繰り返し、一時、米水兵らの下船を阻止したため、タラップ設置は入港後、三時間以上が経過した午後四時すぎにずれ込んだ。午後四時半には負傷した乗組員一人を那覇市内へ搬送するため下船させた。

 

 

 同日夕の艦内での記者会見でスティーブン・デモス艦長らは、今回の寄港について「数カ月前から予定されていた」と説明。両艦船の乗組員は九十人ずつで計百八十人。

 

 

     ◇     ◇     ◇     

 

 

入港強行 島二分

 

 

 【与那国】与那国町の祖納港に二十四日、県内の自治体で復帰後初めて米軍艦船が入港した。灰色の掃海艦が姿を見せると、シュプレヒコールを繰り返す労働組合や平和団体の中で、抗議行動に不慣れな島の高齢者らも拳を上げた。「地域振興のためならやむなし」と入港を静かに見守る町民も。外間守吉町長は反対を表明、一方で崎原孫吉町議会議長は艦内での夕食会で「懲りずに来てほしい」と歓迎の意を示すなど、人口千七百人の島の「指導者」の対応も真っ二つに分かれた。反対住民らの座り込みによって米軍のタラップの取り付けは二時間ほどずれ込んだ。

 

 

 数隻の漁船が停泊していただけの港は、正午前から慌ただしさを増した。米海軍掃海艦寄港のために前日から停泊していたタグボートが出港。約十五分後に最初の掃海艦「ガーディアン」がゆっくりと船体を現した。「与那国から出て行け」―。住民らの抗議のボリュームが上がった。

 

 

 戦時中を与那国島で過ごした牧野トヨ子さん(84)は「昔のようなことを繰り返してはいけないと思い、ここに来た」と語った。祝い用のかまぼこを頭に載せ、運んでいる途中、米軍の空爆を受けた経験があるという。「軍のやることを許せば、少しずつ慣らされてしまう」と力を込めた。

 

 

 寄港に反対する住民の会の新崎長吉共同代表(65)は「住民を無視した友好親善はあり得ない」と強調。女性の会の請舛姫代さん(52)は「子どもに昼ご飯を炊けないが、あなたを戦争に行かさないために、お母さんは港に行くと言ってきた。入港を断じて許さない」と声をからした。

 

 

 抗議集会を数メートル先で見ていた元町助役の崎原用能さん(60)は、那覇市から取り寄せた星条旗を三日前に港に設置した。「宮古や石垣の方が港の整備は進んでいるので、与那国が軍事拠点になることはない。使いたいときに大いに使ってもらって、いいのでは」

 

 

 崎原議長が役員を務める海運会社は、タラップの設置など、入港の準備をする下請けに入った。「自分は商売人だから」と前置きした上で、「米軍が来ることで、島の民宿もレンタカーも予約がいっぱいになった。島が潤うから、私ははっきりと賛成する」と語った。

 

 

 「米軍には一切協力しない」という外間町長の意向を受け、港に町職員の姿はなかった。

 

 

 乗組員の上陸を阻止しようと、掃海艦の前で座り込みを続ける反対住民らを説得するよう、在沖米国総領事館や外務省が港湾管理者の県に要請。県が住民らと話し合ったが、タラップの取り付けは米軍の計画より二時間ほどずれ込んだ。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251300_01.html

 

 

琉球新報 社説

 

与那国に米掃海艦・町民の不安が募るだけ

 

 佐世保基地を拠点とする在日米海軍の掃海艦2隻が日本最西端の与那国島・祖納港に寄港した。米艦船の県内民間港への寄港は復帰後、初めてである。米側は「親善・友好と乗組員の休養」と日本側に通知しているが、本紙が入手した海軍の港湾情報調査票には港湾周辺や島内の状況をつぶさに調査する項目が並び、情報収集の色合いが濃い。

 台湾有事をにらんだ米軍の民間港利用への布石だとしたら、疲弊する辺境の地を脱し、国境の島としての自立モデルを目指す与那国町にとって看過できまい。距離的に近く、歴史的に交流もある台湾とは友好関係を構築中だ。米艦船の寄港がいたずらに台湾・中国側を刺激しないか心配だろう。

 加えて今回の寄港は、町民生活まで細かく調べ上げられる可能性が否定できないという。実際、島内には艦船の入港を前に海軍の先遣隊らしき男性らが入り込んでおり、祖納港に近い集落の飲食店では米兵らしき男性らが客の収容規模などを尋ねたりする様子が確認されている。

 外間守吉町長は「親善・友好と言いながら、島内を調査しているのは非礼だ。町内を巡回するのはやめてほしい」と不快感をあらわにした。現時点で米兵と町民との間で大きなトラブルが起きているわけではないが、米側の真の狙いがいまひとつはっきりしないだけに、町民が不快感や違和感を覚えるのは当然だろう。

 与那国町は昨年10月、政府の第十次構造改革特区募集に「国境交流特区」を提案した。キャッチフレーズに「自立・定住できる日本のフロント・アイランド」を掲げており、ことし3月の与那国空港拡張式典では那覇直行便に加えて台湾、東南アジアを結ぶ国際航空路開設への夢が膨らんだ。

 そんな矢先の艦船寄港である。寄港が恒常化し、与那国島で軍事色が強まれば観光入域客数の伸長やアジア各国との交流拡大に少なからず影響が出よう。それは島が目指す本来の姿ではない。有事対応の島ではなく、有事と縁のない島にしていく努力こそが求められている。

 

 

(6/25 9:46)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24906-storytopic-11.html

 

 

2007年6月25日(月) 夕刊 5面

 

戦争への憤り一冊に/札幌市の今倉松男さん

 

弟失った沖縄戦 戦跡巡り実相学ぶ

 

 

 沖縄戦で弟や師範学校の同窓生計二十五人を失った男性が札幌市にいる。元小学校教員の今倉松男さん(88)。今倉さんは今年三月、戦跡巡りや自主学習をもとに沖縄戦の実相をまとめた編著「歴史に学ぶ」を自費出版。二十三日には同市内で営まれた沖縄戦の戦没者慰霊祭に出席し、平和への決意を新たにした。(上原綾子)

 

 

 旧陸軍伍長だった弟の一雄さんは一九四五年五月、現在の南風原町付近で戦死した。帰りを待ちわびる家族が悲報を知ったのは約一年半後の春。戦死公報とともに戦闘帽と石ころの入った白木の箱が届いたという。

 

 

 沖縄戦戦没者のうち、沖縄を除く出身地別の兵士の数で北海道は圧倒的に多い。一雄さんや札幌師範学校の同窓生らが最期を迎えた地を確かめようと、今倉さんは九八年と九九年の二度、沖縄を訪問。本島各地の戦跡や慰霊の塔、資料館などを歩き回った。

 

 

 「歴史―」はその際のメモや沖縄戦を取り上げた文献、新聞への投稿記事などを構成して制作。全編ほぼ手書きで、八年をかけて完成させた労作だ。「書き進めるほどに戦争への憤りが込み上げてきた。二十一世紀を担う若者にどうしても伝えたかった」

 

 

 慰霊の日には、札幌市の藻岩山のふもとであった四十三回目の「沖縄戦戦没者慰霊祭」にも出席。道内出身の約一万八百人の犠牲者の名が刻まれた碑を前に、今倉さんは「多くの犠牲の上に、平和な生活があることをかみしめた」と話した。

 

 

 「歴史に学ぶ」は八百二十九ページ。

 

 

 問い合わせは今倉さん、電話011(661)4331。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251700_03.html

 

 

2007年6月25日(月) 夕刊 4面

 

来年3月までに判決/米ジュゴン訴訟

 

原告側弁護士那覇で報告会「基地反対の武器に」

 

 

 米軍普天間飛行場の移設に絡み、日米の自然保護団体が米国防総省に名護市辺野古沖のジュゴン保護を求めて米連邦地裁で争われている訴訟の報告会が二十四日夜、那覇市の八汐荘で開かれた。来日した原告側の弁護士は、来年三月ごろまでに判決が出るとの見通しを示した。

 

 

 米環境法律事務所「アースジャスティス」のマーティン・ワグナー、サラ・バート両弁護士は「勝訴しても即座に基地建設が中止されるわけではないが、反対運動の強力な武器になる」と説明。ジュゴンへの影響を緩和するため、国防総省に環境影響評価や地元の専門家からの意見聴取が義務付けられ、計画変更も想定されるとした。

 

 

 原告側は五月、主張は尽くしたとして、地裁に判決を出すよう申し立てた。九月の口頭弁論で結審し、その後半年以内で判決が出る見通し。

 

 

 報告会には約三十人が参加し、活発に意見交換した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251700_04.html

 

 

2007年6月26日(火) 朝刊 24面

 

オーバビー名誉教授「9条の精神 世界へ」

 

 米国で「第九条の会」を創設し平和憲法の精神を普及しているチャールズ・オーバビーさん(81)=米オハイオ大学名誉教授=が二十五日、宜野湾市の沖縄国際大学で「憲法改悪で日本はどう変わるか」と題した憲法講演会を開いた。オーバビーさんは、国民投票法や米軍再編推進法の成立などに危機感を募らせ、二十二日に来沖した。

 

 

 講演には学生ら約四百五十人が詰め掛けた。オーバビーさんは、改憲について「憲法九条がいつまで持ちこたえられるか、絶望の危機にきている。アメリカは日本の領土や軍隊を使って戦争できるようにしようとしている」と安倍政権の動きに危機感を募らせた。

 

 

 また、「憲法九条は日本だけのものではなく、全世界のものにするべきだ。日本国民の九条を大切にする気持ちを世界に伝えてほしい」と訴えた。

 

 

 自身も朝鮮戦争のころ、パイロットとして空爆作戦に動員された。現在は「平和のための退役軍人の会」で、暴力を使って国際問題を解決することをやめさせる活動をしている。

 

 

 講演では、核不拡散条約について「日本は唯一、核に攻撃された国。日本がリーダーシップを取って核不拡散条約を広げていくことが重要だ」と呼び掛けた。

 

 

 講演会実行委員を代表し、沖縄戦の語り部の安里要江さん(86)は「教科書から沖縄戦の日本軍関与が削除された問題も過去の戦争を歪曲しているものであり、憤りを感じる。九条を守り抜き、未来の子どもたちが戦争のない安心した暮らしが送れるようにしたい」と話した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261300_04.html

 

 

沖縄タイムス 社説(2007年6月26日朝刊)

 

 

[米艦船・与那国寄港]

 

やはり理不尽で許せない

 

 「友好親善」という美辞の裏には「軍事調査」という牙が隠されていた、というべきだろう。米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアンとパトリオットの初の与那国寄港のことである。

 

 

 日本最西端の国境の島への寄港目的を米軍は「乗組員の休養と友好親善」と触れ込んだ。

 

 

 だが、実際は民間港湾の状況、燃料の調達方法、給水、医療や通信施設、クラブ、レストラン、ホテルの状況、はては「寄港反対運動」などの住民調査も盛り込まれていた。

 

 

 石垣市、竹富町を含め八重山の各離島は、中台紛争の台湾海峡有事の際、在留邦人や米国人の非戦闘員、台湾の避難民などの緊急避難先として利用される可能性が極めて高い。

 

 

 今回の米艦船の与那国寄港には、台湾海峡を間近に見据える与那国島を「布石」に、米軍が石垣港を軍事利用したいという意図が見え隠れしている。

 

 

 与那国の祖納港の現状は、掃海艦よりさらに大きい艦船は入港できない。しかし、石垣港なら台湾海峡にほど近く、検疫や出入国管理施設も備わり、大型艦船が入港できるからだ。

 

 

 二隻の掃海艦は、外間守吉与那国町長の「反対」や港湾管理者である県の「自粛要請」を押し切り、祖納港にあえて「接岸」し、艦内を一般公開した。その狙いが、町民の「軍事アレルギー」を解消、緩和させることにあるのは言うまでもない。

 

 

 米軍のやることを許せば、慣らされてしまいかねない、のは多くの県民が肌で感じているはずだ。日本政府も寄港の見返りにいずれ地域振興策を持ち出し、住民を懐柔するのは目に見えている。これから先がもっと危うい。

 

 

 外間町長は寄港に反対したが、崎原孫吉町議会議長は艦内での夕食会で歓迎の意を示すなど、人口千七百人の島の指導者の対応が分かれているのも悲しく、複雑な現実といえる。

 

 

 同町は、地理的に石垣島より近い台湾との交流拡大を目指し、チャーター船など外国船を受け入れる「開港」を日本政府に求め続けてきた。

 

 

 しかし、検疫や出入国管理の施設がなく、貨物量の実績も少ないため、開港されないのが現状だ。

 

 

 片や、米艦船は開港、不開港を問わず、国内の民間港湾に無料で入港する権利を日米地位協定第五条(港または飛行場への出入国)が保障している。

 

 

 民間港湾に限らず、民間空港も必要なときには無料で「自由使用」できるようになっており、米軍だけは常に特別扱いである。

 

 

 やはり、理不尽であり許せない。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070626.html#no_1

 

 

2007年6月26日(火) 夕刊 1面

 

「広義の軍関与あった」/仲里副知事が言及

 

 県議会(仲里利信議長)六月定例会の代表質問が二十六日午前、緊急入院した仲井真弘多知事が欠席する中、始まった。高校歴史教科書の文部科学省の検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除、修正された問題について、仲里全輝副知事は「当時の教育を含む社会状況の総合的な背景および戦時下における極限状態の中、直接的な軍命があったかどうかは定かではない」との認識を示した上で、「手りゅう弾が配られるなど広い意味での日本軍の関与があったと思う」と述べ、「軍命」の有無に言及した。

 

 

 冒頭、仲里副知事は、二十四日に緊急入院した仲井真知事の容体や入院に至った経緯などを報告。「仲井真知事は二十三、二十四の両日、病院で精密検査を受けたところ、ごく軽度の脳梗塞と分かった。知事は県議会、県民の皆さまに多大な心配とご迷惑を掛けたことを心苦しく思っている。県議会を欠席することを知事に代わり、深くおわび申し上げる」と陳謝し、知事が代表・一般質問に欠席することへの理解を求めた。

 

 

 米軍再編推進法に基づく再編交付金制度について、上原昭知事公室長は「米軍再編に伴い負担が増加すると認められる市町村に対し、交付金を交付するもので、対象となる市町村の地域振興に寄与するものである」との考えを示した。

 

 

 残り五年となった沖縄振興計画終了後を見据えた「沖縄二十一世紀ビジョン(仮称)」の策定について、仲里副知事は「沖縄の進むべき方向を明らかにする基本構想。この基本理念を踏まえ次期計画の在り方を検討する」と述べ、県独自の計画策定への意欲を示した。いずれも安里進氏(自民)への答弁。

 

 

 午後は親川盛一氏(自民)が登壇する。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261700_01.html

 

 

2007年6月26日(火) 夕刊 1面

 

抗議の中 米軍艦出港/与那国

 

 【与那国】与那国町の祖納港に二十四日入港、停泊していた米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアン(排水量一、三六九トン)とパトリオット(同一、二五○トン)が二十六日午前七時すぎ、出港した。寄港に反対してきた住民や労働組合、平和団体のメンバーらが同港に集まり、抗議した。

 

 

 ケビン・メア在沖米国総領事は出港後、「米海軍がこの地域の安全保障に貢献していることを示すことができた」と成果を強調。今後の与那国や石垣などへの入港について、「海軍の将来的な運用はコメントできないが、日本国内の港であれば入港する可能性がないとは言えない」と語った。

 

 

 出港後の行き先は明らかにしていない。両艦の艦長らは二十四日の記者会見で「通常の訓練に向かう」と話していた。

 

 

 寄港に反対する住民の会の新崎長吉共同代表(65)は「入港を強行しただけでなく、上陸したことで、酒を飲んで暴れないかなど、不安な夜を過ごした。シャツを着ずに裸で歩く水兵もいた。住民の暮らしの場という意識もなく、何が友好親善だ」と憤った。

 

 

     ◇     ◇     ◇     

 

 

掃海艦の寄港「安保上重要」/照屋氏質問に政府答弁書

 

 

 【東京】政府は二十六日に閣議決定した答弁書で、米海軍掃海艦二隻の与那国町への寄港について「米軍の円滑かつ効果的な活動を確保し、もって日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約の目的達成のために極めて重要」との見解を示した。照屋寛徳衆院議員(社民)の質問主意書に答えた。

 

 

 同町が台湾との交流促進を目指し、クリアランス船などの入港に関する要件緩和を盛り込んだ「国境交流特区」構想を国に申請しているが、安全上の理由などで却下されており、照屋氏は「台湾からのクリアランス船の入港を拒みながら、一方で米海軍掃海艦の入港を認める理由」を質問。

 

 

 これに対して答弁書は「台湾からの船舶についても、関税法および検疫法の規定に基づく許可を受けて入港することは可能」とし、あくまで現行法の枠内で対応できるとの見解にとどまった。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261700_02.html

 

 

2007年6月26日(火) 夕刊 5面

 

この写真ダレデスカ?/沖縄戦で戦死の日本兵所持

 

 【北中城】沖縄戦で戦死した日本兵が所持していた写真四十七枚が、従軍した元米兵の孫で米軍嘉手納基地所属のロナウド・ストリッケルさん(33)から特定非営利活動法人(NPO法人)「琉米歴史研究会」に寄贈された。同会の喜舎場静夫理事長は「何とか遺族の元に返したい」と、ホームページに写真を掲載するとともに持ち主につながる情報提供を呼び掛けている。

 

 

 寄贈された写真は六年前に七十二歳で亡くなったロナウドさんの祖父のジーン・ロイスさんが、一九四五年の沖縄戦で、沖縄本島で死亡していた日本兵のポケットに入っていたのを手に入れた。

 

 

 祖母のエバンさん(71)から譲り受けたロナウドさんが、北中城村中央公民館で行われていた写真展「笑顔が戻ってきた日」(主催・村など)のことを知り、二十四日に企画者である喜舎場理事長に手渡した。

 

 

 戦死した日本兵の家族が写っているとみられる写真、軍服姿で馬に乗ったり山の景色をバックに記念撮影した兵隊の写真などが「陸軍恤兵部」と書かれたアルバムに収められている。

 

 

 多くの写真には文字などが書かれていないが、中には「昭和十六年十月、徳吉静子さん退職記念」と書かれた集合写真、クンジーと呼ばれる着物を着た女性が幼い子と一緒に写った写真の裏に「昭和十七年二月十九日受け取り」と書かれたもの、若い母親と赤ちゃんとみられる写真の裏には「旧一月三日、生後二カ月を記念して」と書かれたものがある。

 

 

 連絡は同会、電話098(895)7109。ホームページはhttp://www.ryubei.com

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261700_04.html

 

沖縄タイムス 社説、琉球新報 社説(6月24日)

沖縄タイムス 社説(2007年6月24日朝刊)

 

 

[非戦の誓い]

 

歴史をどう語り継ぐか

 

 

「今だからこそ」歩かねば

 

 

 梅雨が明け、早くも真夏の強い日差しが糸満市摩文仁にある平和の礎や魂魄の塔を照らし、糸満市役所に隣接する市民広場にも降り注いでいた。

 

 

 ことしの慰霊の日はいつもの鎮魂の日とは様相を異にし、緊迫した空気が漂った。広場を出て平和祈念公園までの九キロを歩く、県遺族連合会の平和祈願慰霊大行進参加者の表情を見て、そう感じざるを得なかった。

 

 

 午前九時。「さぁ出発しましょう」の声とともに一歩を踏み出す。

 

 

 遺族会の行進はことしで四十六回目。沖縄戦で亡くなった親や兄弟、姉妹そして親類、友人のことを思い出しながら、平和を誓う行進だ。

 

 

 六十二年前の六月。南部の地は米軍に追われて敗走する日本軍と、それを追うかのように逃げ惑う非戦闘員が入り交じり、数多くの悲劇を生んだ。

 

 

 「沖縄戦の体験者は高齢者が多い。ことしは参加者が減ったのでは」という声が聞こえる。一方で「そのお年寄りが今回はいつもの年よりも多いような気もする」との声も耳に入る。

 

 

 ひ孫の手を引いて一歩一歩、静かだが、それでも腰や膝に力を込めて歩みを進める老夫婦。隣には、三人を見守るかのように寄り添う若い母親の姿も見える。

 

 

 「さぁ頑張って。戦争中はみんな大変だったんだよ」と、一緒に歩む子どもに話し掛けるおばあさん。しかし、歩を進める多くは、黙々と目的地を目指す。

 

 

 ひめゆりの塔が近くなると行程は半ばを過ぎる。額には大粒の汗が浮かび、シャツやズボンは濡れそぼる。行進団の声が次第に沈み、重くなる。

 

 

 戦争中は梅雨の真っただ中であったはずだ。ぬかるんだ原野と艦砲射撃で荒れ果てた畑地を赤ん坊やお年寄りを背負い、手を引き、迫り来る恐怖と戦っていたことを考えれば、きれいな歩道を歩くのは苦にならない。

 

 

 行進は当時の追体験でもある。参加者それぞれの思いを胸に激戦の地を歩み、命の尊さを思う。「もう年だから大変さぁ。でも、おかしくなってきているよ。あんな世の中は嫌だからねぇ。だからいま歩くんだよ」。小さく聞こえた声が頭の中で大きく響いた。

 

 

沖縄戦の実相胸に刻もう

 

 

 平和の礎にはことし五人の韓国人名が新たに刻まれた。県外の沖縄戦戦没者百六十六人、県内は六十四人だ。

 

 

 米国が一万四千八人、韓国三百五十一人、英国と北朝鮮がそれぞれ八十二人、台湾三十四人。刻銘者の総合計は二十四万六百九人に上る。

 

 

 関係者が刻印された礎の前で献花し、線香をたく。名前をきれいにふいたあと供え物をし、静かに手を合わせる。死者への語り掛けは長い。涙をぬぐった後、また名前に手を添える。

 

 

 礎にたたずむ吉川嘉勝さん(68)も渡嘉敷島で「集団自決(強制集団死)」の場にいた一人だ。

 

 

 「『集団自決』への軍関与を削らせないのは県民の総意。安倍晋三首相には、沖縄戦の実相を見て、県民の怒りを肌で感じて帰ってほしい」

 

 

 これは県民誰もが持つ気持ちであり、多くの体験者の証言によって明らかにされた史実といえよう。

 

 

 しかし、戦争が終わって六十二年。ことしの教科書検定では高校歴史教科書の「集団自決」から「軍命」が削除された。沖縄では「歴史を改ざんしようとする」文部科学省への怒りと不信感がわき起こっている。

 

 

 慰霊の日は、私たち一人一人が沖縄戦の実相をいま一度振り返り、真実はどこにあるのかを学ぶ良い機会になっている。

 

 

歴史の歪曲は禍根を残す

 

 

 沖縄全戦没者追悼式に参列した安倍首相は、「集団自決(強制集団死)」から旧日本軍の関与が削除された問題について「(教科書検定は)教科用図書検定調査審議会が学術的な観点から検討している」と述べた。

 

 

 だが、首相が言う学術的観点とは何か。体験者の証言は学術的資料になり得ないと思うのなら、自身の歴史観とともに正直に示すべきではないのか。

 

 

 繰り返すが、県民にとって沖縄戦の“真実”は一つと言っていい。なぜ首相がそのことに目を向けようとしないのか。それが不思議でならない。

 

 

 子どもたちに教えなければならないのは歴史の真実だ。歪曲した歴史を教えたのでは将来に禍根を残す。

 

 

 沖縄戦の記憶を背景にした“非戦の誓い”をどう継承し発展させていくか。私たちはいま、歴史の大きな岐路に立っていることを自覚したい。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070624.html#no_1

 

 

琉球新報 社説

 

復帰35年沖縄宣言 強い気概を持ち自立を

 

 本土復帰から35年。本土化の流れがほぼ定着し、価値観が多様化する中で、県民が心や思いを等しくし認識を問い直す機会の一つが「慰霊の日」である。

 慰霊の日のきのう、県内各地では、激烈な沖縄戦で犠牲になった戦没者のみ霊を慰め、非戦を誓う老若男女の変わらぬ姿があった。

 その慰霊の日に向けて、有識者ら50人の連名で「復帰35年・沖縄宣言」が発表された。

 提唱者は、大学教授、作家、工芸家、音楽家、実業家、弁護士など職業の枠や党派を超えた多彩な顔ぶれである。

 宣言全文を共通して貫いているのは、今の沖縄の姿を憂い、平和な生活に直結する自立への気概などを、強く持つよう求めたことなどだ。

 宣言は、まず沖縄戦から学んだ教訓である「命どぅ宝」に触れた後で、「人間の尊厳」の重さを説き起こしながら平和や自治や自立の確立を呼び掛ける。

 批判の切っ先は、米軍再編による日米両政府からの強権的な押し付け、自衛隊を投入した住民運動への威圧、高校教科書検定にみる歴史の歪曲(わいきょく)など最近起きた一連の問題に及ぶ。

 「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権の発足以来、改憲論議が急ピッチだ。平和憲法に関連して、宣言は「沖縄住民は悲願である『平和・主権・人権』を享受するはずであった」とし、基本的人権を脅かす政治、社会の現実に異を唱える。

 提唱者らの自省も込められているのだろうか。重要な事項が他律的に決定されることにも、宣言は容赦ない。

 米軍統治時代を象徴する語り草にもなっている、当時の高等弁務官による「自治神話」論を引き合いにこう説く。

 「自ら治めようという気概のない限り、『自治は神話』のままに陥ることを憂慮し、ここにあらためて沖縄自身が決める重要性を深く認識する」

 現実の波に流されるだけでは理想が遠のく。宣言が訴え掛ける意味・意義を考えてみたい。

 

 

(6/24 10:07)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24877-storytopic-11.html

 

 

琉球新報 社説

 

ヒル次官補訪朝 非核化の道筋を確実に

 

 北朝鮮の核開発問題をめぐる動きが慌ただしくなってきた。この勢いで「初期段階の措置」が履行され、次のステップである「核の無能力化」へと一気に突き進むのだろうか。国際社会の耳目が集まる。

 情勢変化のきっかけは、凍結された北朝鮮資金の送金手続きの完了に続く米高官の電撃訪問だ。6カ国協議の米首席代表を務めるヒル国務次官補が21日、滞在中の日本から急きょ北朝鮮を訪れた。米国務次官補の訪朝は2002年のケリー氏以来である。

 訪朝後に韓国・ソウルに立ち寄り記者会見したヒル氏は、北朝鮮が寧辺の核施設の稼働停止・封印を「速やかに履行する」との意思を示したと述べ、米朝協議の成果を強調した。

 だが対北朝鮮外交では、額面通りに受け取れないもどかしさが付きまとう。「速やかに」と表明しながら、往々にして引き延ばし戦術に出ることも少なくない。楽観できない側面があるのは否定できない。しかし、核施設の稼働停止や封印は2月の6カ国協議での合意である。本来なら2カ月前に履行されていなければならない。

 北朝鮮は今度こそ即刻約束を実行すべきだ。それが当事国に求められる誠意ではないか。

 ヒル次官補によると、北朝鮮は次の段階となる各施設の「無能力化」についても「準備ができている」と前向きな姿勢を示し、具体的手続きをめぐって一部意見交換したとも語っている。

 過剰な期待や予断は置くとしても、ヒル氏の訪朝が北朝鮮側の招請で実現していることなどからみて、北朝鮮側に現状を突き動かしたい意思があるのはまず間違いないだろう。

 予想される今後の動きとしては、国際原子力機関(IAEA)の先遣隊となる実務代表団が26日に平壌入りし、初期段階措置に向けた準備協議後、7月半ばに査察要員が北朝鮮に入る予測だ。7月後半には6カ国協議が開催される公算が大きくなっている。

 2月の6カ国協議再開は、その直前のベルリンでの米朝協議が伏線となった。同様に、米朝間の信頼醸成に向けた動きが今回の情勢変化の背景にある。

 泥沼化のイラク問題で身動きできない米国には、外交面でポイントを稼ぎたい政権事情がある。北朝鮮側には「テロ支援国家」の指定解除などの思惑が働いているのだろう。

 ただ忘れてならないのは6カ国協議の役割だ。日米韓中ロはこの機をとらえ、連携を強め、北朝鮮の非核化への道筋を確実にしたい。日本にとっては、拉致問題の進展、解決につなげるためにも一層の努力、各国との連携協力が欠かせない。

 

 

(6/24 10:08)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24878-storytopic-11.html