沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(8月8日)

2007年8月6日(月) 朝刊 21面

沖縄も模索 体験者・2世協力 きょう広島原爆忌

 六十二年前のきょう、米軍が広島市に原爆を投下した。県内にも広島、長崎で被害に遭った被爆者が三百人ほどいるとみられている。沖縄戦の陰に隠れがちな中、十年ほど前から語り部になったり、写真展を開いたりして県内でも核兵器の恐ろしさを訴える活動が続いている。だが、被爆者の高齢化が進み、体験の伝承も難しい。被爆者や被爆二世は「沖縄戦と原爆投下は、米国の沖縄統治戦略でつながっている」と、県民に関心を持つよう訴えている。(吉田啓)

 一九四五年八月六日の朝。当時十三歳で広島市の女学校一年生だった比嘉幸子さん(75)=那覇市=は、発熱し自宅で静養していた。戦時協力で遅れがちな勉強が気になり、机で教科書を開いていたとき原爆がさく裂した。

 すさまじい爆風でふすまが背に倒れ、割れた窓ガラスが足に突き刺さった。仕事に出て市内で被爆した母は半身にやけどを負い、命からがら帰宅した。放射能を含んだ塵が舞い上がり黒い雨が降った。市街地では青い太陽のようなリンの球体が立ち上った。

 終戦後、母の実家がある沖縄に戻った比嘉さんが、体験を話し始めたのは十一年前から。生活に追われ、「放射能が被爆者から伝染する」などの偏見もあり、体験を語る余裕はなかった。

 だが、戦後五十年目の節目に広島市を訪ね、慰霊碑に刻まれた亡くなった級友たちの名をたどって決心がついた。一人一人の顔が浮かび、「語り部になり、伝えなければ」と思った。

 以来、県内の中学校や大学で語り部を続けている。気掛かりなのは後継者だ。副理事長を務める県原爆被爆者協議会でも、体験を話す人はわずかしかいない。比嘉さんの次の世代の県内被爆者は、被爆当時、三歳未満で語るほどの記憶がない。

 一方で、比嘉さんが心強く思うこともある。今月一日、沖縄市役所で反戦、反核を訴える写真展が始まった。主催の「沖縄原爆展を成功させる会」の事務局員として金城辰也さん(41)=同市=も参加した。

 辰也さんは被爆二世だ。五年前に肺がんで亡くなった父の文栄さんは長崎の造船所で被爆した。同協議会や同会の会長を務め、体験談を話して回るなど県内被爆者の先頭に立ってきた。だが、家族には体験を話さなかった。

 文栄さんの死後、父の講演記録や開催していた写真展のことを調べるうちに、当時の戦況から日本を降伏させるのに原爆投下は不要だったこと、米国が戦後交渉を有利に進め、沖縄を完全な統治下に収めるためもあり広島、長崎に原爆投下したことなどを知った。

 昨年夏、辰也さんは長男を連れて、広島市を訪れた。原爆のことを知ってもらうためだ。「沖縄戦も原爆投下も、別々の出来事ではなく、つながっている。どちらも、沖縄の人たちにしっかり伝えていかなければ」

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708061300_01.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年8月6日朝刊)

[広島・原爆の日]

あらためて核廃絶誓う


唯一の被爆国の責任

 広島と長崎に原爆が投下されて六十二回目の夏が来た。鎮魂の時を迎えて、被爆者や遺族、核廃絶を希求する人々は困惑し、いつもと違う重苦しい空気を感じているのではないか。

 防衛庁が「省」に格上げされ、その初代防衛大臣に就いた長崎県選出の久間章生衆院議員の発言がその原因だ。

 「長崎に落とされて悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている」

 原爆投下を「しょうがない」と言い放つこと自体、許されることではない。だがこの背景には、昨年来、日本の核保有に言及したり核論議を認めようとする動きがあるのではないか。

 自民党の中川昭一政調会長が「核があることで攻められる可能性が低くなる。当然議論はあっていい」と述べたのは、昨年十月の安倍内閣発足直後だ。これに呼応して、麻生太郎外相は「(核保有の)議論まで封殺するのはいかがか」と答えている。

 笹川尭党紀委員長に至っては、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」という非核三原則の見直し論も必要との考えを示している。

 核兵器をめぐる論議を否定するものではもちろんない。しかし、それはあくまでもヒロシマとナガサキで身をもって体験した立場からのものでなければなるまい。

 核論議は核廃絶を求めることが大前提なのであり、「核開発」や「核保有論」ではないということだ。

 久間、中川発言から垣間見えるのは、国民の中にある核に対する意識が時の流れとともに薄れ、「絶対に核保有は許さない」という認識と緊張感がなくなりつつあることである。

 私たちに求められているのは、もう一度被爆者の体験を基にした「原爆の記憶」を一人一人がしっかりと受け継ぐことだ。そして、それを根気強く次代に継いでいく意志である。

 そうでなければ被爆の実相を世界に発信することは難しくなる。唯一の被爆国がなすべき責任はそこにこそあり、それが私たちの義務だということを肝に銘じたい。


米国の政策に「NO」を


 秋葉忠利広島市長は、きょうの平和宣言で「謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、米国の時代遅れの誤った政策にはノーと言うべきだ」とし、政府に対して米国に核廃絶を訴えるよう求めていくという。

 米国からはしかし、ブッシュ政権が次世代の新型核として「信頼性のある代替核弾頭(RRW)」の研究を進め、一年以内に開発着手の検討に入ったという報道も聞こえてくる。

 地下深く造られた司令部施設や兵器などの貯蔵施設をピンポイントで攻撃できる小型の貫通型核兵器構想しかり。これらを「ならず者国家」や「国際的なテロ組織」に対して使用しようとの思惑が見て取れるのだから恐怖は倍増する。

 包括的核実験禁止条約(CTBT)に反対するブッシュ政権の動きは、「核の不平等」を拡散する行為といってよく、ヒロシマ、ナガサキから何も学んでいないと断ずるしかない。

 私たちが政府に要望するのは、このような米国の動きへの明確な反意である。

 日本は国際社会で核廃絶への指導力を発揮していく責務があり、決して「核保有に興味を抱く」ことではないということをあらためて強調したい。


被爆者の声発信してこそ


 安倍晋三首相は官房副長官時代に早稲田大学で講演し「憲法上は原子爆弾も小型であれば憲法違反にはならない」と話したことがある。本当にそうだろうか。

 世界には米国とロシアなどが保有する核兵器は約三万発あるといわれている。広島型の百四十七万発分に当たり、世界人口約六十六億人の三十倍を超える二千億人を殺せるほどの量だ。

 冷戦時代には確かに抑止力だけで「使えない核」だった。だが、いまではより小型化した「使える核」が開発されつつあるというのだから、年月は人類を賢くしてきたとはいえない。

 被爆から六十二年。核廃棄を訴え続けてきた被爆者の声も核保有国の為政者の耳には届かず、核廃絶への道筋は全く見えていないというのが実情だ。

 とはいえ私たちは核を容認しないし、核保有の動きも認めることはできない。復帰前まで核兵器が貯蔵されていた沖縄だ。広島、長崎との連携を強めて核廃絶を世界に訴えていきたい。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070806.html#no_1

 

琉球新報 社説

原爆の日 核廃絶こそが人類の使命

 広島、長崎は原爆被爆から62年の夏を迎えた。広島は6日、長崎は9日の「原爆の日」にそれぞれ平和式典を催し、核廃絶への誓いを新たにする。未曾有の惨禍で、おびただしい犠牲を払ったにもかかわらず、今日なお核兵器保有国が存在し、被爆者たちの声を受け止めようとしない。

 そんなエゴがいつまで許されるのだろうか。少なくとも日本は、唯一の被爆国としてこれ以上、核保有国のエゴを許すわけにいかない。核廃絶が絶対に譲れない一線であることを、核保有国を含む世界各国に対し、一段と強く訴えねばなるまい。

続く被爆者の苦痛

 原子爆弾は第二次大戦末期の1945年8月6日、広島市の上空で米国のB29爆撃機から投下された。爆心地の地表温度は4000度に達し、大量の放射線が発生。市内の建物の9割以上が焼失または全半壊し、その年だけで推定約14万人が死亡した。

 3日後の9日、今度は長崎市に原爆が投下され、市の上空で爆発した。爆風と放射線で、同年末までに約7万4千人が死亡した。翌年以降に亡くなった被爆者も数万人規模に上り、生存被爆者の多くは、がんなど放射線が原因の健康障害に苦しんでいる。被爆は決して過去の出来事ではない。極めて今日的問題である。

 中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」は、原爆のすさまじさを描き出す。全身にやけどを負い、皮膚が垂れ下がったまま苦しむ人たち。倒壊した家屋に圧死した家族ら。どれも“地獄絵”だ。激しい地上戦に巻き込まれた沖縄県民にも通じる光景であり、こうした体験・教訓を風化させることなく、次世代に継承していく必要性をあらためて痛感する。

 ところが世界に目を向けると、未曾有の惨禍を教訓とするどころか、格段に威力を増した核兵器が開発され続けている。米国、ロシア、英国、フランス、中国の五カ国に加え、インド、パキスタン、イスラエルが事実上の核保有国とされ、北朝鮮も「核保有」を宣言した。

 確かに、米ソ冷戦時代は「抑止力」としての核の役割が強調された。いわば、使うことを基本的に想定しない核であった。しかし、冷戦後も核は“居座り”続ける。イランや北朝鮮が大国に対抗する政治カードとして核開発をちらつかせてきたこともあり、米国などは従来の抑止力から用途を広げ、核を「ならず者国家やテロ組織」に対して使うことも辞さない兵器と位置付け始めた。

 実際、ブッシュ米政権が核テロ対策の一環として、広島と長崎の原爆被爆者やビキニ水爆実験被ばく者の調査を続ける邦人研究者らの技術協力を受けていたことが分かっている。

「抑止力」の変質

 これは看過できない。危うい事態である。1970年発効の核拡散防止条約(NPT)は核兵器の保有を米国、ロシアなど五カ国に限り、他の国の保有を禁じているが、一方で「核軍縮交渉の義務」を課した。その義務をないがしろにしてはいないか。五カ国以外の核保有を禁じるのは当然だが、保有国が核軍縮への取り組みを怠っていいはずがない。肝心な部分を忘れてもらっては困る。

 翻って日本はどうか。長崎出身の久間章生前防衛相が、米国の原爆投下を「しょうがない」と発言し、当初、安倍晋三首相も擁護した。原爆投下は多くの市民の命を奪い、今なお被爆者を苦しめる残虐行為だ。発言は被爆国の閣僚として非常識で、被爆者の気持ちを踏みにじる暴言と言わざるを得ないが、これを首相が擁護してしまったのでは、被爆国の意識が薄れたと言われても仕方がない。

 久間発言を念頭に置いてか、広島市の秋葉忠利市長は6日の平和記念式典で、日本政府が「被爆の実相と被爆者の哲学」を謙虚に学ぶよう訴える。長崎市の田上富久市長も9日の式典で、核兵器使用が正当化されないことを政府が世界に訴えるよう求めるという。

 被爆地の訴えを日本政府、そして各国は真剣に受け止めてもらいたい。国際社会が結束して非核運動のうねりをつくり出せば、核保有国のエゴをただせるし、道も開けよう。核廃絶は人類に与えられた使命であり、喫緊のテーマである。核の恐怖から脱するために、日本が果たす役割は大きい。各国をリードし、ことしの原爆忌を平和構築への再出発点としたい。

(8/6 9:42)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26062-storytopic-11.html

 

2007年8月6日(月) 夕刊 1面

嘉手納基地F15、4機あす未明離陸

三連協、抗議へ

 米空軍嘉手納基地は六日午前、F15戦闘機四機と空中給油機一機が米本国に向け、七日早朝に離陸すると発表した。同基地のF15を、製造年の新しいF15に更新する措置に伴うもの。しかし、周辺自治体の首長は「安眠を妨げる未明離陸が繰り返されている」と強く反発している。

 嘉手納基地所属だった四機は、米本国で空軍州兵部隊として飛行を続けるという。

 離陸時間について、同基地は「早朝」としているが、同基地から米本国へ飛行する場合は通常、未明の時間帯に離陸しており、今回も未明離陸になる見通し。同基地では、一月にF15などが二日連続で、五月にも暫定配備されていたF22戦闘機十二機のうち十機が、未明離陸を強行している。

 那覇防衛施設局は六日午後、佐藤勉局長名で「他の基地の経由などで可能な限り午前六時以降の離陸を追求するよう」配慮を求める文書を同基地司令官に提出する。

 同基地の未明離陸については日米が回避の可能性を協議。夏場に関しては施設局が昨年、「アラスカ経由の場合、ハワイより日没が数時間遅くなる」として、アラスカ経由によって午前六時以降の離陸を探るよう、米側に提案した経緯がある。だが、今回の未明離陸は、日本側提案を米側が受け入れなかったことを示し、今後も繰り返されることが予想される。

 同基地は「航空機の早朝離陸により周辺住民に騒音の影響が及ぶことを認識しながらも、運用上の必要性を注意深く考察し、早朝離陸を行うことになった」と説明した。

 嘉手納基地周辺自治体の首長らによる「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」(三連協)は、六日午後に北谷町役場で幹事会を開き、未明離陸に抗議する方向で調整している。

 三連協会長の野国昌春北谷町長は「安眠を妨げる未明離陸が繰り返され、住民の基地負担は増大している。(午後十時―午前六時の飛行を制限する)航空機騒音規制措置を順守するべきであり、三連協としても抗議したい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708061700_01.html

 

2007年8月6日(月) 夕刊 1面

知事、慎重姿勢/ハンセン共同使用

 在日米軍再編の最終報告に盛り込まれた米軍キャンプ・ハンセンの共同使用で、陸上自衛隊第一混成団(那覇市)が近く同演習場の使用を開始することについて、仲井真弘多知事は六日午前、「基本的には基地機能が強化されない(ことを求める)というのが、われわれのスタンス。その点からどうか」と述べ、陸自の使用が地元の負担増につながらないかどうかを慎重に見極めた上で、判断する考えを示した。ハンセンの共同使用については、七日に防衛施設庁の渡部厚施設部長と那覇防衛施設局の佐藤勉局長らが、県と地元の金武町、恩納村、宜野座村に詳細な訓練内容を説明する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708061700_02.html

2007年8月7日(火) 朝刊 1・29面 

米軍車両 また学校侵入/うるま市 前原高校

ロータリー 一周去る/生徒らけがなし

 【うるま】六日午後二時四十四分ごろ、うるま市田場の県立前原高校(大城順子校長、生徒数八百三十三人)の敷地に米軍車両とみられるトラックが侵入、ロータリーを一周して正門から同市安慶名方面に去った。車両侵入時、近くにいた男子生徒ら三人にけがはなかった。同市では七月十八日に同校から約六百メートルの県立沖縄高等養護学校に米海兵隊の装甲車が侵入、市議会が抗議決議をしたばかり。

 県教育庁は七日にも那覇防衛施設局などに抗議するほか、同市議会基地対策特別委員会は同日に対応を協議する。

 目撃した同校の平良智事務長によると、車両は白っぽいトラック。運転手ら二人はいずれも外国人で、車両ナンバーは「NAVY95 29619」と記載されていた。敷地内を回る際、車体が揺れたという。ロータリーの縁石などに車両が衝突した痕跡はなく、一分足らずで立ち去った。

 市内の学校で相次ぐ車両侵入に、知念恒男市長は「事実関係を確認中」としながら「米軍ならば、市民感情を理解していない。ここを戦場とでも思っているのか」と厳しく批判。その上で「市としてできる限りの意思表示を行いたい」と述べ、米軍に厳重抗議する考えを示した。

 一方、仲村守和県教育長は「沖縄高等養護学校への米軍の装甲車侵入に強く抗議し、再発防止を要請したところだ。度重なる許し難い暴挙に怒りを禁じ得ない」とのコメントを発表した。

 那覇防衛施設局は、沖縄タイムス社の取材に対し「(車両が米軍のものかどうか)米軍に照会中」としている。


     ◇     ◇     ◇     

なぜ再発「反省 口だけ」/職員の質問を無視


 【うるま】「米軍はなぜ、何度も校内侵入を繰り返すのか」―。六日、うるま市田場の県立前原高校の敷地に米軍とみられる車両が侵入したことに教育関係者は一斉に怒りの声を上げた。七月十八日には米海兵隊の装甲車が県立沖縄高等養護学校に侵入、市や市議会、教育関係者が米軍に再発防止を強く申し入れた。相次ぐ車両侵入に、「学校は安全な場であるはずだ。米軍は非常識だ」など不信感と批判が広がっている。

 目撃した前原高校の平良智事務長(49)によると、正門近くの敷地内に米軍車両がいた。車両は停車することなく、敷地内のロータリーを走り回った、という。

 平良さんが「どうしたんですか」と声を掛けたが、外国人とみられる運転手らは目を合わすこともなく校外へ。県道を右折するために停車した車両に近付き、急いで番号を控えた。車両が侵入して出て行くまで「時間にして一分もない」出来事だったという。

 同校の大城順子校長は「戦前には軍隊が学校を接収して使用した。教育現場と軍隊は相いれないもので、侵入は残念だ」とまゆをひそめた。

 同校ではこの日、午前中に夏期講座があったほか、部活動などのため登校する生徒もいた。米軍車両侵入を知った二年の女子生徒(17)は「米軍は何をするか分からないから、校内には入ってきてほしくない」と話した。

 同校PTAの具志川光彦会長(47)は「間違って侵入したなら一言謝ってほしい。人の庭をはだしで歩き、黙って帰るようなことは良くない」と指摘。七日に開かれる市内の県立高校長やPTA会長らとの会合で、対応を協議する、という。

 現場を確認した同市議会の東浜光雄基地対策特別委員長は「学校は安全な場であるはずだ。米軍は非常識極まりない」と憤る。「先月米海兵隊の装甲車が侵入した際、米軍は兵士の教育徹底を約束したが、口先だけだとしか思えない」と語気を強めた。


「故意」と疑う声も


 米軍とみられる車両が前原高校の敷地内に侵入したことに、県内の教職員やPTAなどから反発の声が上がった。

 高教組の福元勇司書記長は「平和の大切さを教育する学校と相反する米軍車両が再び侵入するとは絶対に許せない。米軍は事の重大性をきちんと認識しているのか非常に疑わしい。関係当局に対し強く抗議したい」と憤った。県高校PTA連合会の西銘生弘会長は「米軍は故意に侵入したのではないかと疑いたくなる」とした上で「何度も同じようなことが起きるのは米軍に規律を守るつもりがないからだろう。早めに抗議の意思を示したい」と話した。

 県PTA連合会の諸見里宏美会長は「たまたま夏休み中で生徒も少なかっただろうが、安全面を考えると許せない。学校に土足で上がり込むような行為は常識を疑う」と話した。

 沖教祖の大浜敏夫委員長は「学習の場への立て続けの侵入に強い怒りを覚える。復帰以前のやりたい放題の行動は米軍が反省していない証拠。那覇防衛施設局の対応も生ぬるいのではないか。主権国家として強く抗議するべきだ」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708071300_01.html

沖縄タイムス 関連記事、琉球新報 社説(8月4日、5日)

2007年8月4日(土) 朝刊 1・27面

研究者団体 撤回決議へ/「集団自決」修正

会員3千人歴教協大会 検定問題討議も

 全国の小・中・高校・大学の歴史教育研究者らでつくる歴史教育者協議会(石山久男委員長)は四日午前、神戸市で第五十九回全国大会を開き、高校歴史教科書の沖縄戦の記述から「集団自決(強制集団死)」への軍の関与が削除・修正された文部科学省の検定意見撤回と記述回復を求める決議を採択する。

 同会は約三千人の会員で構成する国内最大規模の歴史教育者らの研究団体。一九八二年の教科書検定では沖縄戦の「住民虐殺」の記述が削除された際、同様の決議を行っている。

 実教出版「高校日本史B」で執筆した石山委員長は「沖縄県民や全国の歴史研究者が抗議しても文科省は態度をあらためようとしない。決議が沖縄の運動を支える一助になってほしい」と期待。その上で「文科省への申し入れや教科書会社、他の教科書執筆者に呼び掛け、記述の訂正を求めていきたい」と話した。

 県歴史教育者協議会の平良宗潤委員長は「決議は県民の怒りや抗議が正当なものであることを示している。全国の歴史教育研究者が支持してくれることは励ましになる」と語った。平良委員長ら五人が出席、平和分科会などで教科書検定問題について報告する。

 決議案は、今回の検定について「強制と誘導という事実をかくし、『集団自決』を住民の自発的なものであるかのように書き直させたことは、歴史研究を踏みにじり沖縄県民が体験し継承させてきた歴史の事実を抹殺する」と糾弾。「戦争と軍隊を美化し、海外で戦争する『日本軍』の復活を目指す憲法改悪につなげようとする意図から発したものだといわざるを得ない」と批判している。


     ◇     ◇     ◇     

「集団自決」授業法紹介/県教育者協が機関誌


 県歴史教育者協議会(平良宗潤委員長)はこのほど、高校歴史教科書の検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の記述から軍関与が削除・修正された問題について、研究者や教科書執筆者らの論文、授業法などをまとめた機関誌「歴史と実践」を緊急出版した。

 同書は七部構成で、県内外の沖縄戦研究者や教科書執筆者による座談会、論文を集録。軍関与が削除・修正された背景や記述の回復などについて論じている。

 軍関与が削除・修正された検定後の教科書や、六月に開かれた検定意見撤回を求める県民大会などを例に、子どもたちに今回の問題を考えてもらうための授業実践法や「集団自決」があった座間味村や渡嘉敷村のフィールドワークを紹介。県内各地で発生した「集団自決」に関する県史や市町村史の証言リストなどもまとめられている。

 三日、県庁記者クラブで会見した平良委員長らは「授業での実践や資料集として多くの人に活用してもらいたい」と話した。

 同書は千円、三千部を発行した。問い合わせは同協議会機関誌担当、ファクス098(834)5830。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708041300_01.html

 

2007年8月4日(土) 朝刊 27面

ジュゴン 絶滅危惧種/環境省「リスト」に初

 環境省は三日、絶滅の恐れのある野生生物の「レッドリスト」の改訂版に沖縄近海に生息するジュゴンを初めて掲載、最も高い絶滅危惧1A類に分類した。成体の個体数は五十頭未満と推定した。生息地で計画されている米軍普天間飛行場代替施設の建設について、同省は「指定も踏まえ、今後の環境影響評価で適切に対応されるものと考えている」との見方を示した。このほか、イリオモテヤマネコも1B類から1A類に危険度が上がった。

 哺乳類のレッドリスト見直しは九年ぶり。同省によると、海に生息する哺乳類は原則としてリストの対象外だが、ジュゴンは陸地近くの浅い海域で海草を食べることから、今回新たに評価の対象とした。「引き続き漁業者などの協力も得ながら保護を進めたい」と話した。

 絶滅危惧指定について、ジュゴンに詳しい沖縄美ら海水族館の内田詮三館長は「保護に向け具体的な一歩を踏み出すきっかけになれば意義がある。環境省、水産庁、防衛省をはじめ、自治体や研究者を網羅したプロジェクトチームを立ち上げ、保護区設定を含めて検討すべきだ」と指摘した。

 このほか沖縄の生物では、イリオモテヤマネコが最近の調査で個体数の減少傾向が見られるとして、1B類から1A類に。イリオモテコキクガシラコウモリは2類から1B類になった。

 また、南西諸島の魚類が大幅に評価対象に加えられ、カワボラやコゲウツボは評価対象外から1A類に危険度が上がった。

 植物では、1A類指定のヒメヨウラクヒバなどで、知られていた個体群が絶滅したと報告された。

 今回結果を公表した見直しでは、哺乳類、汽水・淡水魚類、昆虫類、貝類、植物の計約七万種について評価。新たに七百二種を追加、二百八十七種を指定から外し、絶滅危惧種は二千九百五十五種となった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708041300_02.html

 

2007年8月4日(土) 朝刊 27面

汚染土壌を撤去/北谷米軍油流出

 【北谷】北谷町の米陸軍貯油施設からディーゼル燃料が流出した問題で、米軍は三日、燃料が漏れ出た小型タンク周辺の汚染土壌を撤去した。流出現場は二〇〇三年に返還されたキャンプ桑江北側部分の跡地で、地主は「返還した時点でタンクを撤去していたら、燃料の流出事故も起きなかった」と批判している。

 那覇防衛施設局によると、流出量や原因は米軍が調査中。米軍が二日に撤去した小型タンクは、町内の米軍基地で保管している、という。米軍はショベルカーで汚染土壌を掘り起こし、ダンプに積み込んで回収。コンクリート製の土台も撤去され、ビニールシートで覆われた。北谷町の野国昌春町長は「流出量や発生原因などを確認した上で、週明けに今後の対応を決めたい」としている。

 キャンプ桑江北側部分の地主で、北谷町軍用地等地主会の玉城清松副会長は「これまでも多くの銃弾や油送管が見つかるなど、跡地利用はスムーズには進んでいない。燃料流出は区画整理の障害になり得るものであり、国はきちんと対応してほしい」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708041300_05.html

 

2007年8月4日(土) 朝刊 26面

ゾルゲ直筆文が存在/元特高の娘が沖国大に寄贈

 太平洋戦争直前に、日本やドイツの軍事・政治関係機密を諜報して検挙されたソ連のスパイ・ゾルゲの直筆署名文書などを含む関係資料約数千点が、このほど沖縄国際大学の南島文化研究所(小川護所長)に寄贈された。ゾルゲ事件に連座して獄死した名護市出身の画家、宮城与徳の取り調べ文書も含まれており、研究者らは「ゾルゲ事件を知る上で第一級の貴重な現物資料」としている。

 資料は、ゾルゲ事件を取り調べた元特別高等警察部(特高)の故大橋秀雄氏が所蔵していた。公開されていた資料も一部あるが、あらためてまとまった形で寄贈された。大橋氏の娘の中島和子さん(68)=神奈川県=から申し出があり、今年四月同研究所がまとめて受け入れた。

 ゾルゲ直筆署名資料や宮城与徳関係資料、警察取調書、内閣情報局週報や戦前、戦後の貴重書など計数千点。関係者によるとゾルゲ直筆の文書類などはこれまで「まったく残っていない」という。

 一九四二年三月七日、東京拘置所内でゾルゲが大橋氏にあてた直筆の手紙では「私の事件の取り調べに彼の最も同情ある、ただ最も親切であったことを記念し、私は取り調べの指揮者である彼に深い感謝を述べます」などと記されている。

 宮城与徳の取り調べ調書には「昭和十六年十二月」の日付があり、与徳が当時収集していた情報が詳細に書かれている。

 同研究所は、今後、近現代史の専門家を中心とするプロジェクトチームを組織し、目録化や翻刻作業を行いながら公開する方針。

 同研究所特別研究員の比屋根照夫琉球大学名誉教授は「これだけの資料はなかなかない。資料を検討するとゾルゲ事件を解明する新たなヒントが得られる可能性がある」と重要性を強調している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708041300_06.html

 

2007年8月4日(土) 朝刊 2面

北部振興 予算要求へ/高市沖縄相、強い意欲

 【東京】内閣府沖縄担当部局は三日までに、二〇〇八年度予算概算要求に北部振興事業費を盛り込む方針を固めた。高市早苗沖縄担当相は同日午前の閣議後会見で、同事業費を継続する条件の「普天間飛行場の移設に係る協議が円滑に進む状況」が崩れていないとの認識を示し、予算要求に強い意欲を示した。

 高市沖縄相は「代替施設の受け入れ、現況調査に同意いただき、調査が進められている。私と地元、小池百合子防衛相と地元の関係者間の調整も継続している」との見解を示し、予算要求ができる状況にあるとの考えを示した。

 一方で、「これに加えて一歩進めていくため、協議会を開くことが重要なポイントになると考えている」とも述べ、普天間飛行場移設に関する政府と地元の協議会の早期開催の必要性を強調した。

 防衛省が〇七年度北部振興事業費の一次配分に難色を示していることには、「来年度の要求とは違い、本年度のものは要件が満たされた上で決定されている。適切な時期に配分できるよう、防衛省などと調整する考えに変わりない」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708041300_08.html

 

2007年8月4日(土) 夕刊 1面

歴史教育協、撤回・記述回復を要求/「集団自決」修正

 全国の小・中・高校・大学の歴史教育研究者らでつくる歴史教育者協議会(石山久男委員長)の全国大会が四日午前、神戸市で開幕した。会員総会で高校歴史教科書の沖縄戦の記述から「集団自決(強制集団死)」への軍関与が削除・修正された文部科学省の検定意見撤回と記述回復を求める決議を採択した。

 決議は、今回の教科書検定について「『集団自決』を住民の自発的なものであるかのように書き直させたことは、歴史研究を踏みにじり、沖縄県民が体験し継承させてきた歴史の事実を抹殺する」と指摘。

 その上で「戦争と軍隊を美化し、海外で戦争する『日本軍』の復活を目指す憲法改悪につなげようとする意図から発したものだといわざるを得ない」としている。同協議会は決議後、文科省に検定撤回などを訴えるほか、教科書会社や執筆者に呼び掛け記述の訂正を求める方針。同会は約三千人の会員で構成する国内最大規模の歴史教育者の研究団体。


全国で問題共有


 大会に出席している県歴史教育者協議会の山口剛史事務局長(琉球大学准教授)は「歴教協の活動方針の中でも教科書記述の問題が明記された。全国の教職員が問題を共有化し、正しい歴史を子どもたちにきちんと教えるために取り組んでいきたい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708041700_01.html

 

2007年8月5日(日) 朝刊 1・2面

ハンセン近く共同使用/陸自第一混成団

施設庁、地元説明へ/「負担増」と反発も

 在日米軍再編の最終報告に盛り込まれた米軍キャンプ・ハンセンの共同使用で、陸上自衛隊第一混成団(那覇市)が近く演習を開始することが四日分かった。これに先立ち、七日に防衛施設庁の渡部厚施設部長と那覇防衛施設局の佐藤勉局長らが、県と地元の金武町、恩納村、宜野座村に事前説明を行う。同庁は地元自治体の理解を得た上で、自衛隊による在日米軍基地の使用を規定した日米地位協定二条四項(a)に基づく手続きに着手する意向だが、地元は「負担増につながる」と難色を示しており、反発も予想される。

 陸自の演習は、ハンセン内の「中部訓練地域」の既存レンジを使用する。

 同庁は県のほか、ハンセンに隣接する四市町村のうち、同訓練地域に近い三町村に説明。地元の意見を聴取後、日米合同委員会で正式合意するとみられる。

 ハンセンでの陸自の訓練は、自衛隊単独や日米共同の戦闘訓練、射撃訓練を想定。

 同庁は「自衛隊による施設整備を要しない共同使用については二〇〇六年度からの実施が可能」として、日米間の調整や自衛隊内部で訓練内容の検討を進めていた。

 日米特別行動委員会(SACO)合意に基づく金武町のギンバル訓練場全面返還に伴い、ブルービーチへのヘリパッド移設を同町が受け入れたため、ハンセンの共同使用に向けた事務手続きに着手する意向を固めたとみられる。

 自衛隊の使用に伴う施設整備の必要性について、同庁は「検討する」としているが、現時点で新たな施設整備は実施されていない。

 恩納村議会は〇六年五月、共同使用により騒音、異臭、山火事、漁業被害、流弾事故などの悪影響が考えられるとして、「明らかに負担増」とする意見書を全会一致で可決している。

 金武町、宜野座村も共同使用は容認していない。


     ◇     ◇     ◇     

「負担軽減」に逆行/ハンセン共同使用


 米軍キャンプ・ハンセンの共同使用により、那覇市に駐屯する陸上自衛隊第一混成団の訓練効率は飛躍的に向上する。現在千九百人の第一混成団は旅団格上げで二千三百―三千人規模に増強する方針が打ち出されており、今後は「質量」ともに実力を備えた部隊に変容するのは確実だ。ハンセンの共同使用で、米軍再編の目的である日米の「軍事融合化」が沖縄を舞台に進む。米軍再編の主眼とされた「沖縄の負担軽減」に逆行しているのが実情だ。

 陸自はハンセンで射撃訓練のほか、車両を伴う機動展開などの攻撃・防御訓練、対遊撃訓練を想定している。当面は自衛隊のみで訓練を行うとみられるが、米海兵隊との共同訓練も実施されることは間違いない。

 第一混成団は県内で実弾射撃訓練場が確保されていないため、これまで熊本や大分県など主に九州の自衛隊演習場に移動して訓練を実施していた。こうした「転地訓練」は、隷下の第一混成群で年間約六十日、第六高射特科群で年間約七十日、その他部隊で年間約四十日間(いずれも二〇〇四年度の例)に及ぶ。

 〇八年度以降は、陸自の小火器射撃訓練施設として整備中の沖縄市の東恩納覆道射場の使用も見込まれ、沖縄の陸自は今後、実戦的な訓練や演習の機会を大幅に増大させることになる。

 米軍再編では米空軍嘉手納基地の共同使用も合意されており、沖縄では空と陸で日米の軍事融合化が図られる。

 自衛隊基地を米軍に使用させる共同使用化に当たっては、日米地位協定の実施に伴う国有財産管理法七条で、政府は「関係行政機関の長などの意見を聞かなければならない」と規定している。だが、政府はこれまで「住民生活には軽微な影響しか与えない」として、地元の意見聴取を実施していない。

 政府は、米軍再編の実行に際し「地元の理解と協力を得て進める」としており、「地元の負担増」につながるハンセンの共同使用に当たって、地元の意向をなおざりにすることは許されない。(政経部・渡辺豪)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708051300_01.html

 

2007年8月5日(日) 朝刊 23面

歴教協「歴史認識覆される」/研究者ら危機感共有

 高校歴史教科書から「集団自決(強制集団死)」への軍関与が削除された検定意見撤回を求める決議を採択した歴史教育者協議会(歴教協・石山久男委員長)の全国大会は四日、「地域に学ぶ集い」が神戸市産業振興センターであり、「教科書問題」の分科会も開催。参加した研究者や高校の教師など約三十人が、来年度から使用される歴史教科書の沖縄戦について認識を深めた。

 集いでは、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会の小牧薫事務局長が、大阪地裁で係争中の「集団自決」訴訟について報告。県歴教協の山口剛史事務局長は検定をきっかけに、県内で「集団自決」生存者の新証言の掘り起こしが進んでいるとした。

 山口事務局長は「裁判まで含めると、教科書問題が全国に浸透しているとは言い難い」と県内との「温度差」を指摘したが、「今回の検定を許せば、この先沖縄だけでなく、日本の歴史認識が覆されるという危機感は共有できた。全国に検定意見の撤回を求める運動を広げていく出発点にしたい」と抱負を話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708051300_05.html

 

琉球新報 社説

絶滅危惧種指定 ジュゴン保護に英知を

 国の天然記念物ジュゴンの生息環境悪化に、あらためて警鐘が鳴らされた。環境省は3日、絶滅の恐れのある野生生物の種をまとめた「新レッドリスト」を発表。その中で、旧リストでは対象外だったジュゴンを評価対象種とし、絶滅の危険性が最も高い「絶滅危惧1A類」に指定した。

 区分の定義は、国際自然保護連合(IUCN)の基準に合わせており、IA類は「ごく近い将来に野生での絶滅の危機が極めて高いもの」。ジュゴンは普天間飛行場代替施設建設予定地となっている辺野古沖の海域でたびたび目撃されている。今回の指定で、施設建設の影響がさらに憂慮される事態となったともいえよう。

 ジュゴンは海棲(かいせい)哺乳類の一種で、ジュゴン目(海牛目)ジュゴン科に属する。かつては2属2種だったが、1960年代にステラーカイギュウが絶滅したため、現在はジュゴン(1属1種)のみである。アフリカ東海岸から東シナ海、オーストラリア付近まで広く生息していたが、現在はかなり限られた海域にしかいないという。世界でも合計で10万頭ほど、との推定だ。南西諸島海域が分布の北限だが、既に50頭未満との推計もある。減少の原因としては肉用目的の乱獲、開発による生息地の環境悪化、餌となる海草の生えた藻場の消滅などが指摘されている。ほとんどが、いわば「人災」だ。

 特に懸念されるのが、辺野古沖で今春から実施されている事前調査の影響。大掛かりな機器設置やそれに伴う騒音が、ジュゴンの生息環境に、決して好ましい結果をもたらさないことは明白だ。音には敏感で、船のエンジン音を聞くと、藻場に近寄らなくなる恐れもある。さらに、施設建設となれば、壊滅的な影響は避けられない。

 既に日本哺乳類学会、水産庁でも「絶滅危惧種」として指定しており、今回の環境省の指定は「遅すぎたぐらい」との指摘もある。

 いずれにせよ、保護に向けて一歩前進とも評価できる。後は指定のみで終わるのではなく、どう具体的に保護策を取っていくか。人類の英知が試される。

(8/5 10:38)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26050-storytopic-11.html

沖縄タイムス 関連記事、琉球新報 社説(8月2日、3日)

2007年8月2日(木) 朝刊 2面

知事、きょう防衛相と会談/アセスで意見交換か

 【東京】二〇〇八年度国庫支出金要請で上京している仲井真弘多知事は二日午後、防衛省で小池百合子防衛相と会談する。会談は「表敬」の名目で十五分間の予定。米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設に伴う環境影響評価(アセスメント)について意見交換するとみられる。

 防衛省は、アセスを早期に受け入れるよう県に求めているが、県はV字形滑走路の沖合移動や、同飛行場の「三年内閉鎖状態」の実現を主張し、現段階でのアセスに難色を示している。

 このため防衛省は「協議が円滑に進んでいない」と判断。北部振興事業執行の条件が崩れているとして、同事業を凍結する考えを示している。

 会談では北部振興事業の取り扱いや、普天間移設に関する協議会の次回会合の開催についても話し合われる可能性がある。

 仲井真知事は小池防衛相に先立ち、高市早苗沖縄北方担当相らを訪ね、普天間飛行場の移設先の名護市など十二市町村の北部振興事業を継続するよう要請する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708021300_05.html

 

琉球新報 社説

ヘリ墜落不起訴へ 第1次裁判権は日本に

 県警は2004年8月に起きた米軍ヘリ沖国大墜落事故の原因をつくり出した普天間基地に当時所属していた整備兵4人を氏名不詳のまま、航空危険行為処罰法違反(過失犯)の容疑で書類送検した。

 米側が既に第1次裁判権を行使しているため、不起訴となる見通しである。

 米軍はこの間、県警の現場検証、事故機の検証、ヘリ乗員らへの事情聴取などを拒み続けてきた。大事故を起こした当事者にもかかわらずである。

 事故の反省、県民に対する謝罪の気持ちは米軍に果たしてあるのかとの疑念さえわく。

 県警は、県民に被害を及ぼした事故として立件、送致する方針で捜査に当たった。しかし、立件に必要な捜査を米軍がことごとく拒否したことから、今回の幕切れは予想された。

 墜落事故は民間地域で発生し、学生や周辺地域住民らに多大な被害と恐怖を与えるなど、県民は重大な危険にさらされた。書類送検で終わるような事故ではない。

 事故の再発防止には原因の解明と併せて責任の追及が不可欠である。氏名も明かされず、責任の所在はうやむやのままでは、事故再発への不安を払拭(ふっしょく)できるはずがない。

 米側の事故報告書は「整備兵がヘリコプター尾部の接続器具コッター・ピンの装着を忘れて飛行させたのが事故原因」と結論付けている。

 県警の捜査結果と照らし合わせることができない以上、米側の一方的な事故報告書をうのみにすることはできない。

 県内では復帰後、民間地域への米軍機墜落事故は沖国大での事故を含めて4件発生したが、いずれも立件できていない。

 戦後62年、復帰後35年を経ても、沖縄では米軍優先がまかり通っていることをあらためて見せつけられた。

 今回も日米地位協定が捜査の大きな壁になった。米軍航空機事故の現場検証や機体検証は、同協定などで「米側の同意」が前提となっている。

 県警が現場検証したのは、米軍が事故ヘリを持ち去った6日後であり、十分な検証が実施できるはずもなかった。

 ただ、福岡県の九州大学への米戦闘機墜落事故(1968年)など、他県であった米軍航空機事故3件で米軍は警察などの現場検証を認めている。この違いはなぜか、問われ続けねばならない。

 米軍の判断で対応が決まることは今後も予想される。改善が必要だ。

 少なくとも民間地域で起きた米軍の事故は公務中かどうかにかかわらず、日本側が第1次裁判権を持つべきである。

(8/2 10:35)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25971-storytopic-11.html

 

2007年8月2日(木) 夕刊 5面 

ヘリ墜落 後輩へ語り継ぐ/12日 沖国大でコンサート

 沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落してから三年。事故の恐怖を語り継ぎ、あらためて飛行禁止を訴えようと同大の学生たちが十二日午後五時から、沖国大の本館前広場で「NO FLY ZONE」コンサートを開く。事故当時の混乱を知る唯一の学年となった四年生が、記憶の「風化」が進む現状に危機感を募らせて企画。事故を知らない下級生も賛同し、実行委員会に加わった。学生たちは「あの日を忘れないための恒例のイベントにしたい」と張り切っている。(田嶋正雄)

 コンサートにはカクマクシャカ、すばっぷ、知花竜海など、企画の趣旨に賛同する県内若手ミュージシャン六組が出演。会場では、同大美術部や文芸部の作品、普天間第二小学校の児童が描いた絵画などが展示される。焼け焦げた旧本館壁面の写真をあしらった縦四メートル、横三メートルのメッセージ板も登場し、参加者の書き込みを募る。

 発案したのは、事故当時の様子を知る最後の学年となった四年生の有志。墜落現場を知らない学生が多数派となり、事故の記憶が薄れていく学内の雰囲気に危機感を覚え、学生主体の企画を立ち上げた。

 実行委員長で四年の高橋正太郎さん(21)は「みんなが飛行禁止を叫んだのに、ヘリの爆音も上空を飛んでいく恐怖も何も変わっていない。このままでは、みんな忘れ去ってしまうと思った」と説明。「事故を体験した学年として、学生が考える場をつくり、思いを引き継いでいく責任を感じた」と力を込める。

 高一の時、事故をテレビニュースで見たという一年の上原三奈さん(18)は「遠い出来事という気がして、最近まで墜落場所も知らなかった。事故があったことさえ分からなかった本土出身の友達もいる」と話す。入学後、大学近くのアパートで暮らすようになり、「怖さを実感した」という。

 会場では「十年後の沖国生へ」と題し、未来の学生に向けた参加者のメッセージをビデオに収録するコーナーも設置する。翌十三日には、墜落地点に残るアカギの前で、宣言文を読み上げるセレモニーを行う予定だ。高橋さんは「学生からの新たなメッセージを発信する」と意気込む。「いつか基地が撤去され、ただ楽しむだけのイベントになる日まで、受け継いでいってほしい」

米軍ヘリ墜落事故を後輩たちに語り継ごうと、コンサートを開く実行委員の学生ら=宜野湾市・沖縄国際大学

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708021700_01.html

 

2007年8月3日(金) 朝刊 1面

防衛相「沖合」に難色 普天間移設で会談

知事、協議会開催に慎重

 【東京】仲井真弘多知事は二日、小池百合子防衛相と防衛省で会談した。小池氏は、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設について、「沖縄の海を守ることに力点を置いている」と述べ、環境への配慮を強調。名護市が求めているV字形滑走路の沖合移動について、海域の埋め立て面積が増加することから、難色を示したものとみられる。

 小池氏は、日米の自然保護団体が米国防総省に名護市辺野古沖のジュゴン保護を求めて米連邦地裁で争われている訴訟を取り上げた上で、「そういう(訴訟の)問題もあるので、自分は環境面を重要視している。防衛大臣が環境問題も語る。それが二十一世紀の新しい姿だ」と説明した。

 これに対し仲井真知事は「普天間の問題は名護市も受け入れている。地元の気持ちをくんでまとめていただきたい」と述べ、沖合移動にあらためて理解を求めた。

 小池氏はそのほか、普天間移設に関する協議会について「できるだけ早く開きたい」と協議を促進したい考えを示したが、仲井真知事は「よく調整する必要がある」と指摘。

 沖合移動や普天間飛行場の「三年内の閉鎖状態」の実現など県の要望に対する政府側の対応が先決との考えから、慎重な姿勢を示した。

 会談では、普天間飛行場移設に伴う環境影響評価(アセスメント)や、北部振興事業については話し合われなかった。

 仲井真知事はこれに先立ち、二〇〇八年度国庫支出金要請で高市早苗沖縄担当相とも会談。新規の「IT津梁パーク(仮称)整備事業」の展開や、政府の「アジア・ゲートウェイ構想」の拠点に沖縄を位置付けることなどを要望。北部振興事業を継続するよう文書で求めた。高市氏は「だいたい要望の内容には沿えると思う」と前向きな返答をした。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708031300_01.html

 

2007年8月3日(金) 夕刊 1面

北部振興事業盛り込む/08年度概算要求

沖縄担当相、強い意欲

 【東京】内閣府沖縄担当部局は三日までに、二〇〇八年度予算概算要求に北部振興事業費を盛り込む方針を固めた。高市早苗沖縄担当相は同日午前の閣議後会見で、同事業費を継続する条件の「普天間飛行場の移設に係る協議が円滑に進む状況」が崩れていないとの認識を示し、予算要求に強い意欲を示した。

 高市沖縄相は「代替施設の受け入れ、現況調査に同意いただき、調査が進められている。私と地元、小池百合子防衛相と地元の関係者間の調整も継続している」として、予算要求ができる状況にあるとの考えを示した。

 一方で、「これに加えて一歩進めていくため、協議会を開くことが重要なポイントになると考えている」とも述べ、普天間飛行場移設に関する政府と地元の協議会の早期開催の必要性を強調した。

 防衛省が〇七年度北部振興事業費の一次配分に難色を示していることには、「来年度の要求とは違い、本年度のものは要件が満たされた上で決定されている。適切な時期に配分できるよう、防衛省などと調整する考えに変わりない」と述べた。


普天間「対応に苦慮」小池防衛相


 【東京】小池百合子防衛相は三日午前の閣議後会見で、米軍普天間飛行場の移設問題について、「県のおっしゃっていること、名護市がおっしゃっていることの具体的なところがなかなか分からないので、対応に苦慮している」と述べ、V字形滑走路の沖合移動をめぐり、県、名護市との調整が難航していることを明らかにした。

 その上で、「今後も地元自治体と連携しながら、早期に的確に、わが国の抑止力、沖縄の環境を守るといういくつかのファクターを何とか考え合わせたものにしたい」とも述べ、県、名護市との調整に積極的に取り組む姿勢を強調した。

 沖合移動については、「環境を沖縄がより守る方向に行かないでどうされるのか。環境についての取り組みを盛り込んだ案について、ご理解をたまわればと思っている」と難色を示し、日米で合意したV字案にあらためて理解を求めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708031700_02.html

 

2007年8月3日(金) 夕刊 1面

北谷 米軍施設で油流出/隣接の民間地汚染

 【北谷】北谷町の米陸軍貯油施設・桑江第一タンクファームの小型タンクからディーゼル燃料が流出し、隣接する民間地を汚染したことが三日、分かった。陸軍トリイ通信施設が二日午後、那覇防衛施設局へ通報し、同局から連絡を受けた県と北谷町が同日夕、油流出を確認。北谷町は三日、同様な燃料流出がないか確認するよう、施設局に電話で要請した。

 同施設局によると、油漏れがあったのは二日午後で、千ガロン(約三千八百リットル)の貯蔵能力がある小型タンク。土の上に縦一・五メートル、横一・九メートルにわたり油が広がったという。タンクには約九百ガロン残っており、漏れた量は最大で約百ガロン(約三百八十リットル)とみられる。

 現場は二〇〇三年三月に返還されたキャンプ桑江北側部分で、同町伊平の国道58号から東方三百―四百メートルの地点。米軍は残っていた油を抜き取った上で小型タンクを撤去し、三日午前十一時すぎから汚染土壌の回収作業を行っている。

 野国昌春北谷町長は「使い古しの貯油タンクから流出したという情報もあり、同様なタンクからの流出が今後も考えられる。米軍は経緯も含めて発表し、きちんと対応してほしい」と話した。

 県基地対策課は二日、施設局を通じて、米軍に原因究明や再発防止などを申し入れた。施設内への立ち入り要求については「状況確認の段階」として、現段階では検討していないという。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708031700_03.html

沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月31日、8月1日)

2007年7月31日(火) 朝刊 1面

防衛省、振興予算凍結へ/内閣府の北部1次配分

普天間アセス拒否で

 【東京】内閣府沖縄担当部局が二〇〇七年度予算で計上していた「年間百億円」の北部振興事業の第一次配分に、防衛省が難色を示していることが三十日までに分かった。内閣府は配分額が固まる八月初旬の執行を目指していたが、防衛省は米軍普天間飛行場移設に伴う環境影響評価(アセスメント)を県や名護市が受け入れていないことを問題視。同省幹部は同日、普天間移設に関する協議会で決定した配分の条件が崩れたとした上で「(予算は)出さない」と強調、執行を当面、凍結する考えを明らかにした。

 北部振興事業は内閣府の所管だが、普天間移設に関する協議会を共催する防衛省も予算執行への影響力を持っている。昨年五月の閣議決定では、防衛省の強い意向で北部振興事業がいったん「廃止」とされた経緯がある。

 県は、仲井真弘多知事が今週半ばに〇八年度予算概算要求の国庫要請で上京する機会に、小池百合子防衛相と会談し、打開策を模索する意向を示している。

 北部振興策をめぐっては、〇六年八月の普天間移設に関する協議会で、小池沖縄相(当時)の「普天間飛行場の移設に係る協議が円滑に進む状況の下、(略)着実に実行する」との発言が、政府の統一見解として承認された。

 同年十一月の知事選で普天間飛行場の県内移設を容認する仲井真弘多知事が当選したことで、政府内に移設の進展への「期待値」が上昇。協議の場が確保される環境であれば北部振興事業の継続が可能との判断から、〇七年度の予算計上が認められていた。

 内閣府は県や名護市が協議会への参加を拒否していないことなどを理由に「協議が円滑に進む状況」の条件は崩れていないと判断。本年度の北部振興事業の配分を進める考えだ。

 一方の防衛省はアセス方法書が送付できない現状では「協議が円滑に進む状況にあるとは言えない」(幹部)と受け止めており、県や名護市の譲歩がなければ執行できないとしている。

 内閣府によると、政府予算の執行に決定権を持つ財務省は「両府省の調整を見守りたい」と静観しているという。

 県の仲里全輝副知事は「県としては協議会の開催とは関係なく、政府の方針決定に基づいて最終年度分まで実施されるという認識だ。沖縄振興に対する政府の誠意ある姿勢を望む」としている。

 また、政府が県などに早期に提出したい意向を繰り返し示しているアセス方法書について仲里副知事は「県などが求めている(滑走路の沖合移動と普天間の三年内閉鎖)前提条件に対する政府の回答はまだない」とし、現段階で受理は困難との立場をあらためて強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707311300_01.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月31日朝刊)

[参院第一党]

民主党が試される番だ


安倍首相の指導力に疑問

 参院選は民主党が六十議席を獲得し、結党以来初めて参院第一党になった。

 自民党は勝敗の鍵を握った二十九の一人区で、わずか六議席を得たにすぎない。改選議席六十四を三十七に減らしたのは歴史的惨敗と言っていい。

 しかも、岡山で参院幹事長を務める片山虎之助氏が落選。青木幹雄参院議員会長のお膝元・島根でも国民新党が推す新人が当選し議席を失っている。

 四国ではすべての議席を民主党と同党などが支援する候補者に取って代わられた。

 格差にあえぐ地方の反乱であり、本来は自民党が強い地域で多くの議席を失ったことで、安倍内閣はレームダック(死に体)状態に陥る可能性もある。

 自民党が議席を減らした原因には、民主党が訴えた「都市と地方の格差」を同党が軽視したことも要因としてある。

 さらに言えば、安倍晋三首相が強調する「美しい国づくり」や「戦後レジーム(体制)からの脱却」、「税財政の構造改革」より先に「緊急の課題として取り組むべきことがあるのではないか」との国民の思いである。

 地方が抱える経済的苦境はそれほど深刻であり、自民党はこの問題に答え切れなかったと言わざるを得ない。

 安倍首相は三十日の記者会見で「負けた責任は私にある」と述べた。だが一方で、「私が進める改革路線は国民の理解を得ている。辞任せず改革を進めていきたい」とも話している。

 本当にそうだろうか。記者団が問うた責任論は、国民誰もが聞きたい重要な問題と言っていい。しかし、首相はこの質問にきちんと答えなかった。

 首相には国民に対し「なぜ辞任しないか」という理由を説明する責任があるはずなのに、国民が納得するような理由は示さなかった。これでは自民党支持者だけでなく、党内でも理解は得られまい。

 総理の座に残るのであれば、首相は早急に衆院を解散し国民の信を問うのが筋だろう。今選挙で有権者が出した答えは「安倍政治不信任」であり、与党に投票した有権者にも批判があることを忘れてはなるまい。


論争で政権担当能力示せ


 民主党は三十二の改選議席を大幅に伸ばした。

 小沢一郎代表はこの勢いをかって早期の衆院解散、総選挙を求めると思われる。だが、参院運営では野党第一党として議長、各委員会の委員長ポストを得ることになる。

 どのような運営を行うのか国民は注視しているのであり、その意味で民主党は、野党各党・会派との連携も視野に入れていいのではないか。

 言うまでもないが、衆院で三分の二を確保している与党が通した法案に、やはり“数の力”で反対を繰り返せば、せっかく得た国民の支持もすぐに得られなくなる。

 少なくとも民主党が参院を舞台に政争を繰り広げれば、与党と何ら変わらないということになり、「良識の府」としての参院の役割さえもが問われてくることを認識したい。

 国会は論議の場である。年金問題は言うに及ばず「政治とカネ」の問題、道州制を軸にした地方改革、公務員改革についても徹底的に、時間をかけて論議していくことだ。

 国民が求めるのは何よりも政策論争であり、民主党は論争を通して政権担当能力を示す責務があることを肝に銘じる必要があろう。


沖縄問題の解決に全力を


 沖縄選挙区で当選した糸数慶子氏は三十七万六千四百六十票を獲得。西銘順志郎氏=自民公認・公明推薦=との票差は約十二万票もあった。

 社民党比例区の山内徳信氏は十四万五千六百六十六票を得て、六年の任期を終えて引退した大田昌秀氏の後を継いだ。

 糸数氏と山内氏は県立読谷高校での生徒と教師の関係で、まさに師弟が手を携えて国会に乗り込むことになる。

 永田町では「沖縄問題」は風化したという声も耳にする。だが、日米同盟が強化され、在日米軍基地が再編されようとしている今こそ、もう一度政府、与党に「沖縄問題」の解決を強く訴えるべきであり、そのためにも両氏の手腕が問われることになる。

 沖縄問題に醒めた安倍政権に県民の声をどう訴えていくか。「平和の二議席」が果たす役割はこれまで以上に重要だ。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070731.html#no_1

 

琉球新報 社説

小田実氏死去 体現した平和力を学びたい

 旅行記「何でも見てやろう」や、ベトナム反戦などの平和運動で知られる作家の小田実さんが亡くなった。最近は作家の大江健三郎さんらと「9条の会」の呼び掛け人となり、護憲を訴えていたが、改憲を旗印とする安倍政権の参院選惨敗を見届けるかのような最期になった。

 小田さんは好奇心が旺盛な人だった。深い洞察力と、バイタリティーあふれる行動力で権力に立ち向かっていただけに「気骨の人」を失った気がしてならない。

 高校時代に小説を書き始め、米国留学の後、欧州や中近東、アジアなどを放浪し「何でも見てやろう」を発表した。帰国後に「ベトナムに平和を! 市民連合」(ベ平連)を結成。ニューヨーク・タイムズ紙への反戦の全面広告や、脱走米兵の援助などユニークな活動を繰り広げた。

 著作も多く、米国と広島双方の市民の側から描いた長編小説「HIROSHIMA」でアジア・アフリカ作家会議のロータス賞を受賞。在日韓国人の義父を描いた小説「『アボジ』を踏む」は川端康成文学賞を受けた。

 単なる好奇心で終わらず、精力的に動き回る行動派作家の草分け的存在ともいえる。ベ平連の活動実態を批判されたりもしたが、戦後民主主義をリードした一人であることは疑いなく、体現した「平和力」「市民力」など学ぶべき点は多い。

 常に「市民」の側に身を置き続けた小田さんの原点には、戦火を逃げ惑った大阪大空襲の体験があった。旧日本軍による中国爆撃のニュース映画を何げなく見ていた幼い自分が、やがて空襲を受ける側になる。そこで「加害者はいずれ被害者になる」という思いが芽生えた。

 思いは確信へと変わり、小田さんを平和運動へと駆り立てる。2004年、那覇市で開かれた「9条の会」発足記念講演会で小田さんは「世界の紛争を解決するのは日本国憲法にしかできない。憲法は民主主義だけでなく、平和と結合している。前文は世界に通じる普遍的な原理だ」と説いた。言葉の重みをかみしめたい。

(7/31 9:38)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25893-storytopic-11.html

 

琉球新報 社説

安倍首相続投 民意を軽く見ては困る

 参院選は躍進した民主党を軸に野党が過半数を制した。消えた年金、政治とカネ、相次ぐ閣僚の失言などの問題で後手後手に回り、対応に追われた安倍晋三首相(自民党総裁)の政治手腕に、有権者が痛烈な批判を浴びせた形だ。

 「政と官」に対する国民の不信は根深い。これをぬぐい去るには政権の側によほどの覚悟と、強力な布陣、国民を納得させるだけの具体策が必要だろう。

 歴史的惨敗を喫した安倍政権にそのエネルギーが残っているか疑わしいが、首相は選挙の最終結果を待たずに続投を表明した。続投は一夜明けた自民党の役員会で正式に了承され、公明党との連立も維持されることになった。

 実にあっさりの感がある。有権者が自公政権に突き付けた事実上の不信任は、そんなに軽いものだったのかと思う。与野党逆転が政局にさほど影響を及ぼさないとすれば参院の存在意義や、民主主義の根幹を成す選挙制度そのものが問われかねない。

 かつて参院選で大敗した宇野、橋本内閣は退陣し、自民党は新首相を据えて局面を打開してきた。今回は有力な後継者がいない党内事情もあるが、安倍氏の続投表明会見などを見る限り、猛省している様子は伝わってこない。

 「改革続行が使命」「美しい国づくりにまい進する」などという相変わらずのフレーズでは国民は納得しない。首相の座に居座るなら、少なくとも民意に沿った政策の転換が必要だ。有権者を軽く見てもらっては困る。

 確かに、首相指名権は衆院にある。与党が衆院で3分の2を占めている以上、続投もやむなしとの受け止めはあるだろう。しかし、衆院の多数をバックに国民不在、民意軽視の手法を続ければいずれ政権は立ち行かなくなる。

 懸念材料はまだある。憲法改正の問題だ。自民党は今選挙で公約の筆頭に「2010年の改憲案発議」を掲げ、国民の信を問うた。選挙で信任は得られなかったが、改憲に前向きな民主党を巻き込みたい考えだ。国民投票法の3年後施行を見据え、改憲発議の環境整備を加速させる可能性は否定できない。参院は任期6年だから、今回の当選者は任期中に発議を議論することになる。参院で第1党となった民主党の責任は重い。

 ただ、選挙戦を見ても分かるように、ほかに優先度の高いテーマはいくつもある。まずは消えた年金の救済策だ。将来的に持続可能な安心できる制度設計も欠かせない。政治とカネの問題は小手先でなく、抜本的改革が求められる。格差社会の解消も急ぎたい。

 首相が執行部と内閣の刷新で局面を乗り切れるか。リーダーシップがあらためて問われている。

(7/31 9:39)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25895-storytopic-11.html

 

2007年7月31日(火) 夕刊 1面

防衛相、凍結を示唆/北部振興事業

沖縄相は配分に意欲

 【東京】小池百合子防衛相は三十一日午前の閣議後会見で、内閣府沖縄担当部局が二〇〇七年度予算で計上している北部振興事業の第一次分の取り扱いについて、配分に関する条件を満たすかどうか「判断していきたい」と述べ、明言を避けつつも予算執行凍結の可能性を示唆した。一方で高市早苗沖縄担当相は、北部振興事業の執行条件は崩れていないとの認識を示し、同事業の一次配分実行に意欲を示した。

 小池防衛相は、普天間移設の環境影響評価(アセスメント)について、「現時点で(県のアセス)方法書の受け取りがなされていない。まずは方法書から始まるということだ」と述べ、県や名護市が早急にアセスを受け入れるよう求めた。

 その上で、北部振興事業の配分に関して昨年八月の普天間移設に関する協議会で了承された「普天間飛行場の移設に係る協議が円滑に進む状況の下、(略)着実に実行する」との自身の発言を紹介し、「協議を円滑に進ませていただきたい」と指摘。アセス受け入れを県が拒んでいる現状は「円滑に進む状況」にはないとの認識を示した。

 一方、高市沖縄担当相は「地元で代替施設の受け入れ、現況調査に同意しているので、私は関係者間の調整は継続していると思っている」と述べ、北部振興事業の執行条件は崩れていないとの認識を強調。「関係省庁と調整しなければいけないが、適切な時期に配分したいと考えている」と述べた。

 防衛省幹部は沖縄タイムス社の取材に対し、県がアセス受け入れを拒否している現状に「『協議が円滑に進む状況』とは言えない。(予算は)出さない」と述べている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707311700_01.html

 

2007年7月31日(火) 夕刊 5面

北部、一斉に反発/振興策凍結

「あまりに勝手すぎる」強硬姿勢に不信感

 【北部】内閣府所管の北部振興策事業に関し、防衛省が米軍普天間飛行場移設に伴う環境影響評価(アセスメント)を県や名護市が受け入れていないことを理由に凍結する考えを示したことに三十一日、名護市幹部や市民団体から一斉に反発の声が上がった。「札束でほおをたたくやり方で許されない」「地元の配慮に欠ける」。代替施設の移設について賛成、反対の立場の違いを超え、反発と不信感が広がっている。

 名護市幹部は、防衛省が難色を示している状況を把握しているとした上で、「あくまで防衛側の意向で政府の方針ではないはずだ。内閣府は予算執行する方向で進めている」との認識を示した。防衛省の強硬姿勢については、「まさに札束でほおをたたくやり方で紳士的じゃない。お互いの信頼性も損なう」と痛烈に批判した。

 島袋吉和市長の後援会長を務める荻堂盛秀市商工会長は「勝手なことを言っている。地元への配慮もなく、思い通りにならなければ振興策を打ち切るなんて冗談じゃない。こんなやり方なら移設作業すべてをやめてしまえ」と声を荒らげた。

 北部市町村会長の儀武剛金武町長は、北部振興策の凍結は聞いていないとしつつ、「振興策がなくなるとは思っていない。北部としても今後継続を求めていく」と従来の姿勢と変わらないことを強調した。

 一方、ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「政府は、(代替施設の)二〇一四年完成を目指し強圧的な姿勢をとろうとしている。参院選の結果でも県民は基地を造らせないという意思を示した。このまま強圧的に進めると、仲井真県政にも影響が出てくる」と指摘。平和市民連絡会の当山栄事務局長は「振興策を振りかざし、合意に持っていこうとする政府のやり方は許されない。県は建設に反対して振興策を返上すべきだ」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707311700_02.html

 

2007年8月1日(水) 朝刊 29面

4米兵 近く書類送検/沖国ヘリ事故

 二〇〇四年八月十三日に宜野湾市の沖縄国際大学構内に米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリが墜落、乗員三人が重軽傷を負った事故で、県警は一両日中にも、航空危険行為処罰法違反(過失犯)の疑いで、米軍の整備士四人を氏名不詳のまま書類送検する。立件後、整備士らは不起訴処分になる見通し。

 日米合同委員会の事故分科委員会の報告書によると、整備士らが後部回転翼を固定するボルトにピンを付け忘れた結果、飛行中にボルトが緩んで外れ、回転翼が制御不能になり墜落した。

 県警は事故当日に現場検証の令状を取り米軍に同意を求めたが、米軍は応じないまま現場の封鎖を続け、墜落六日後までに事故機を撤去。県警はその後も再三、機体の検証や関係者の事情聴取などを要請したが、かなわないまま今月十三日の時効成立が迫っている。

 日米地位協定関連の規定は、検証や差し押さえに「米軍の同意」が必要としているほか、「公務中」の米軍の事件・事故は米側に第一次裁判権があるとしている。

 整備士らは米軍の軍法会議で降格や減給などの処分を受けており、米軍はすでに第一次裁判権を行使したとみられる。このため、県警が立件しても日本側は起訴できない見通しだ。

 外務省によると、米側は米国のプライバシー保護法を根拠に、整備士の氏名を明らかにしていない。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011300_01.html

 

2007年8月1日(水) 朝刊 1・29面

新石垣空港 強制収用向け事業申請

 新石垣空港建設予定地内にある未契約用地の強制収用に向け、県は三十一日、土地収用法に基づく事業認定を国に申請した。新空港は二〇一二年度末の運用開始を目指しているが、事業用地約百九十五ヘクタールのうち約81%(約百五十八ヘクタール)の取得にとどまっている。来年夏にも事業認定が得られれば、県は県収用委員会に対し、同意が得られていない土地について強制収用の裁決申請を行う方針だ。

 同日、沖縄総合事務局の佐藤孝夫開発建設部長に事業認定を申請した県の首里勇治土木建築部長は「(一二年度末までの)工期を考えると、申請の時期が来た。残りの用地も地域の理解と協力を得て、任意交渉で取得できるよう取り組みたい」と語った。

 県は昨年四月、新空港予定内の用地取得に向けた本格交渉をスタートさせた。しかし、地権者百四十人のうち六十五人とは価格面などで折り合いがつかず、契約に至っていない。

 また、環境保護の立場から新空港事業に反対している六百七十九人の共有地権者がおり、契約を拒否している。

 今回の事業認定申請は、これら未契約用地の強制使用に向けた手続きの一環。県は土地収用法に基づき、三月には石垣市で事業説明会を開催している。説得が難航した場合を想定し、強制収用を視野に入れた措置に踏み切ることを県議会でも再三表明していた。

 事業認定の申請後、国は対象用地の公告・縦覧などの手続きに入り、来年夏ごろには国の認定が出る見込み。この後、県は、県収用委員会に未契約用地の収用のための裁決を申請し、〇九年末までに土地明け渡し裁決を得たい考えだ。

 新石垣空港は滑走路二千メートルで、中型ジェット機の就航が可能になる。昨年十月に起工式が行われ、一二年度末の供用開始に向けて工事が進められている。


     ◇     ◇     ◇     

「強制収用 早過ぎる」/新石垣空港 反対地権者が反発


 新石垣空港建設事業で、県が土地収用法に基づき、未契約用地取得のための事業認定を国に申請したことについて、現予定地での建設に反対する住民らからは抗議の声が上がった。

 八重山・白保の海とくらしを守る会の福仲憲共同代表(74)は「強制収用は最後の手段であって、用地取得の交渉を始めてわずか一年の段階では早過ぎる。反対する地権者を脅迫するような県の考えは許せない」と抗議する意向を示した。

 未契約の地権者に対する県の説明が不十分だとも指摘し、「地権者の同意を得るための誠意ある姿勢や海上・陸上の自然をどう守るかという十分な説明を地権者に直接するべきだ」と求めた。

 市白保で民宿を経営する本村良子さん(68)は、家族五人で一坪ずつ建設予定の土地を所有している。「自然が破壊される」という理由で建設に反対してきた。

 仕事が忙しいこともあって、県や市の担当者との交渉の場には着いたことがない。「ひざを交えて話したいなら、夜の十時でも来たらいい。昼間に来て、『いませんでした』では、ただのアリバイづくりにすぎない。集落の豊年祭の日に事業認定を申請したことも、ひきょうなやり方だと思う」と憤った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011300_02.html

 

2007年8月1日(水) 朝刊 2面

協議の進展必要/北部振興策凍結

防衛相 執行を困難視

 【東京】小池百合子防衛相は三十一日の閣議後会見で、内閣府が二〇〇七年度予算で計上している北部振興事業の第一次配分について、「判断していきたい」と今後の進展を見極める考えを示しながらも、現状では予算執行を凍結する可能性を示唆した。一方で高市早苗沖縄担当相は、北部振興事業の執行条件は崩れていないとの認識を示し、同事業の一次配分実行に意欲を示した。

 小池防衛相は、普天間移設の環境影響評価(アセスメント)について、「現時点で(県のアセス)方法書の受け取りがなされていない。置いてあるような状況にある。協議を円滑に進ませていただきたい」と述べ、県や名護市との協議が停滞しているとの現状認識を明らかにした。

 その上で、北部振興事業の配分については、昨年八月の普天間移設に関する協議会で了承された「普天間飛行場の移設に係る協議が円滑に進む状況の下、(略)着実に実行する」との政府方針を紹介。現状では予算の執行は困難との見方を示した。

 小池防衛相は「北部のニーズも分かる」としつつ、「普天間の移設も必要なこと。どういう答えをどのような形で出していくのかというのは、地元自治体との連携の中で進めていくことが一番本筋だ」と指摘。北部振興事業の執行には、アセス受け入れなど移設作業の進展が必要との考えを暗に示した。

 一方、高市沖縄相は「地元で代替施設の受け入れ、現況調査には同意しているので、私は関係者間の調整は継続していると思っている」と述べ、北部振興事業の執行条件は崩れていないとの認識を強調。「関係省庁と調整しなければいけないが、適切な時期に配分したい」と述べた。

 防衛省幹部は沖縄タイムス社の取材に対し、県がアセス受け入れを拒否している現状に「『協議が円滑に進む状況』とは言えない。(予算は)出さない」と述べ、執行を当面凍結する考えを示している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011300_03.html

 

2007年8月1日(水) 朝刊 1面

知事主体の開催否定/検定撤回県民大会

副知事、参加は「検討」

 仲里全輝副知事は七月三十一日、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる日本軍の関与を削除・修正した高校歴史教科書の検定意見の撤回を求める超党派の県民大会の開催について、「県知事が大衆運動の先頭となって主体的に開催することは、行政トップの立場上できない」との考えを示した。一方、県民大会への仲井真弘多知事の参加については、「集会があれば検討する」と答えた。

 同日、県庁を訪れた民主党県連の瑞慶覧長敏副代表らの要請に答えた。

 仲里副知事は「検定撤回が共通の目標。(審議会の)決定を覆すには、県史や市町村史などの証言を掘り下げて調査する必要がある。県民大会が県民の感情的、政治的な動きだけと受け取られるのは困る」と述べた。

 その上で「記述の修正・削除は相当の理由がなければできない。審議会で、どの先生が『集団自決』に軍の関与がなかった、と異論を出したのか。その先生が座間味島、渡嘉敷島できちんと調査をしたことがあるのか。きちんと究明する必要がある」と指摘した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011300_04.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年8月1日朝刊)

[北部振興凍結]

地元の反発招くだけだ

 北部振興事業の第一次配分について防衛省が難色を示している。県や名護市が普天間飛行場の移設に伴う環境影響評価(アセスメント)を受け入れていないことを問題視しているためだ。

 なぜ今、強硬姿勢をあえて示す必要があるのか。参院選では野党が圧勝、安倍政権への不信任を突きつけた。沖縄の民意に冷や水を浴びせるものだ。

 海上自衛隊の掃海母艦派遣といい、今回の北部振興事業の凍結といい、防衛省の強圧的な対応は目に余る。これでは地元の反発に油を注ぐだけだ。

 普天間移設問題ではV字形滑走路の沖合移動、普天間の「三年以内の閉鎖状態」実現をめぐり、政府と県、名護市の間でこう着状態が続いている。

 防衛省は「政府案を変えることはまったくない」と、修正をかたくなに拒否。参院選後も基地政策に影響はないとの見方を重ねて強調している。

 北部振興事業は昨年五月、防衛省の意向でいったん廃止された。同八月の普天間移設に関する協議会で「普天間飛行場の移設に係る協議が進む状況の下、着実に実行する」(小池百合子沖縄相)との発言が政府の統一見解として承認され、同事業が復活した。

 防衛省幹部は今回、配分の条件が崩れたとの見解を示し「(予算は)出さない」と当面凍結する考えを示した。内閣府は条件は崩れていないとし、本年度の配分を進める意向だ。

 先の国会で米軍再編推進法が成立したが、名護市への再編交付金の給付見通しは立っていない。政府案をのまなければ、北部振興事業と再編交付金の支出を止めると言わんばかりである。

 一昨年来、防衛省の強権的な対応が際立ってきた。「沖縄の食い逃げは許さない」(同省幹部)という不信の表れなのだろう。時間ばかりが刻々過ぎあせり、いら立ちも透けて見える。

 しかし、地元の意向を無視し、頭越しの日米合意を押し付けるだけで話し合いの姿勢すら感じられない。その上札びらをちらつかせて、のむかのまないかを迫る。これほど露骨な恫喝は過去にもみられなかったのではないか。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070801.html#no_2

 

沖縄タイムス 社説(2007年8月1日朝刊)

[慰安婦問題決議]

よそ事とは思えない

 米下院は第二次大戦中の従軍慰安婦問題で、日本政府の謝罪を求める決議案を本会議で可決した。

 なぜ今ごろアメリカで、と疑問を持つ人も多いに違いない。

 決議は日本政府に対して「歴史的責任を認め、公式声明で首相が謝罪すれば、今後この問題が再燃するのを防げるだろう」と公式謝罪を求めている。

 この件ではすでに政府が謝罪している。それなのになぜ再び謝罪を求めるのか、と疑問を抱く人もいるに違いない。

 確かに政府は一九九三年の河野洋平官房長官談話で、旧日本軍の「直接あるいは間接」の関与を認め、「おわびと反省」という言葉を使って公式に謝罪した。

 河野談話に基づいて「女性のためのアジア平和国民基金」が設立され、被害者に対する償い事業が行われたのも事実である。

 だが、そうした過去の謝罪に対して疑問を呈したのは、ほかならぬ安倍晋三首相である。

 国会答弁や記者会見などで安倍首相は「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」と語ったり、言葉を言い換えて「狭義の強制性はなかった」と否定するなど、談話見直しとも受け取れる発言を繰り返した。

 安倍首相はその後、米紙を含む海外からの反発を受けて河野談話を継承することを明らかにした。だが、その一方で、六月には首相に近い国会議員らが強制性を否定した広告を米紙に掲載した。

 一連のちぐはぐな対応が国際社会の疑念を増幅させ、下院本会議での決議採択を招いたのである。

 実際のところ安倍首相は慰安婦問題をどう考えているのか。もう一度、国際社会と国民に向けて意を尽くして説明する責任がある。

 沖縄戦のさなか、県内にも旧日本軍用の慰安所が設けられ、朝鮮半島出身の女性たちが兵隊の相手をさせられた。戦後、身寄りもなく県内各地を転々としながら、異郷の地で生涯を終えた女性もいる。

 軍の「関与」や「強制」の事実を否定することは、尊厳の回復を求めてきた被害者にとっては、耐え難い苦痛であり、屈辱であるだろう。

 この問題は、「集団自決(強制集団死)」をめぐる日本軍関与の記述が教科書検定で削除された問題とよく似ている。

 従軍慰安婦にせよ「集団自決」にせよ、その態様は多様である。証言者の声に耳を傾け、歴史の事実に向き合うことが求められているのだと思う。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070801.html#no_1

 

琉球新報 社説

米下院慰安婦決議 やはり首相は説明不足だ

 年金記録不備問題や「政治とカネ」の問題で国民の批判を浴び、参院選で惨敗した安倍晋三首相にとって、泣き面にハチの状況だろう。

 第2次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐって日本政府に公式謝罪を求める決議が、米国下院の本会議で初めて可決されたからだ。

 国内で求心力が急激に低下している中で、同盟国として頼みにしている米国の議会から、首相声明の形で謝罪するよう要求された。法的拘束力がないとはいえ、日米関係の悪化を招きかねない決議だ。

 同様の決議案は2001年以来、米下院で4度提出されている。昨年9月には外交委員会で可決されたが、共和党指導部が本会議の採決を見送ったため廃案になった。

 5度目の今回は共同提案者が160人を超え、6月の外交委でも39対2の圧倒的大差で可決。初めて本会議での採決となった。

 参院選の歴史的大敗もそうだが、今回の米下院決議も、本はといえば安倍首相がまいた種である。

 ことし3月1日、首相が「(旧日本軍による従軍慰安婦動員の)強制性について、それを証明する証言や裏付けるものはなかった」などと記者団に発言したことが大きく影響した。韓国をはじめ米国、中国などでも反発が広がり、米議会の決議推進派を勢いづかせた。

 首相は4月に訪米した際、民主、共和両党の上下両院幹部に対し「真意や発言が正しく伝わっていない」と釈明。「おわびと反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を継承する立場を伝えたが、後の祭りだった。

 日本で言ったことと米国で話す内容が違っているのだから、二枚舌を疑われ、理解されなかったとしても無理はない。

 下院の決議は「従軍慰安婦制度は日本政府が第2次大戦中にアジア太平洋地域を支配した時代に行った軍用の強制的な売春」「日本にはこの問題を軽視しようとする教科書もある」などと非難した。

 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関し日本軍の強制の記述が修正・削除された問題と本質的に共通している。

 どちらも、旧日本軍による非道な行為を可能な限り覆い隠し、都合の悪い歴史的事実を薄めたいとの意図が感じられる。

 日本政府に求められるのは過去の間違った行為を正当化することではない。歴史を直視し反省を踏まえ、過ちを繰り返さないことが何よりも大切だ。

 1993年の河野官房長官談話は「軍の要請を受けた業者が、甘言、強圧により、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くある。官憲などが直接、加担したこともあった」と日本軍の関与を認定し、謝罪した。政府は、この姿勢を堅持すべきだ。

(8/1 9:54)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25933-storytopic-11.html

 

2007年8月1日(水) 夕刊 1・5面

4米兵を書類送検/沖国大ヘリ墜落

 二〇〇四年八月に沖縄国際大に米軍ヘリが墜落し、乗員三人が重軽傷を負った事故で、県警捜査一課と宜野湾署の合同捜査本部は一日午前、機体を整備した米軍の整備士四人を航空危険行為処罰法違反(過失犯)の疑いで那覇地検に書類送致した。

 米軍側に要請していた関係者の事情聴取が実現しなかったため、四人の氏名や年齢の特定には至らず、「氏名不詳」での書類送検。住宅が密集した民間地に墜落し、県民を危険にさらした事故は、十分な捜査もできないまま、間もなく三年の時効を迎える。立件後、四人は不起訴になる見通しだ。

 書類送検されたのは、事故当時、米海兵隊普天間飛行場に所属していた二等軍曹二人と伍長二人の計四人。

 調べでは、四人は米軍のマニュアルに沿った適切な整備や点検を怠り、〇四年八月十三日午後二時二十分ごろ、沖国大の敷地内に同飛行場所属のCH53D大型輸送ヘリ一機を墜落させた疑い。日米合同委員会の事故分科委員会がまとめた報告書によると、機体は後部回転翼を固定するボルトに留め具を付け忘れるミスのため、飛行中にボルトが外れ、制御不能になり墜落した。

 県警は事故直後から、機体の検証や関係者の事情聴取を求めたが、米軍側はこれを拒否。このため、いつ誰によってミスが起きたのかは解明されず、被疑者の氏名や年齢は特定されなかった。


改善求める

知事公室長


 沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故で、県警が氏名不詳のまま航空危険行為処罰法違反容疑で米軍整備士四人を書類送検したことについて、県の上原昭知事公室長は一日、「事故は米軍提供施設外で発生し、しかも県民の財産に重大な損害を与えた。米軍は捜索差し押さえや検証、事故関係者の氏名公開など、県警の捜査に協力すべきだ。県としては、今後とも日米地位協定の見直しを求める中で、政府に改善を求めていく」とコメントした。


事故語り継ぐ

渡久地学長


 沖国大の渡久地朝明学長は一日午後、「今後の成り行きを冷静に見守っていきたい。大学としては、今後も普天間基地の危険性を訴えていくが、この事件を記憶に留め、後世に語り継いでいく必要がある。そのために、(ヘリ墜落で焼け焦げた)壁の一部を保存し、モニュメントを設置する」とのコメントを出した。


     ◇     ◇     ◇     

責任問えず捜査終結


 沖国大への米軍ヘリ墜落事故で、一日、県警が氏名特定ができないままに乗員四人を書類送検したことに、県内関係者から「政府が県民を守れない現実」「あらためて日米地位協定の問題が浮き彫りになった」など、同協定の見直しを訴える声が上がった。

 宜野湾市の伊波洋一市長は「今回の書類送検は、米軍や米国政府の責任が問われることもなく、日本政府も県民を守ることができない現実を示している」と指摘。「普天間飛行場のヘリは住宅地上空を飛んでおり、事故の再発はあり得る。普天間飛行場は、海外に移転させるべきであり、危険な状態を放置する日本政府の責任は重い」と話した。

 沖縄国際大学の教員有志でつくる「米軍ヘリ墜落事故を考える会」の呼び掛け人、来間泰男教授は「事故後、県警が現場検証や米兵の事情聴取などができなかったのと同じく、日米地位協定の下での捜査の限界を思い知らされた」と話すなど、同協定の問題をあらためて強調した。

 学内有志と立ち上げ二〇〇六年まで活動を続けた「記憶の壁プロジェクト」の藤波潔元共同代表は「原因が分からないまま何の問題解決にもつながらないので遺憾だ。人権が守られておらず、政府関係者に地位協定を見直してほしい」と語った。歴史学の講義では、ヘリ墜落事故を風化させぬよう触れており、「基本的人権を考えるために教育の場で伝えていきたい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011700_01.html

 

2007年8月1日(水) 夕刊 5面

犀川一夫さん死去/89歳 ハンセン病医療に尽力

 国立療養所沖縄愛楽園の園長を長年務め、ハンセン病の外来医療と啓蒙活動に力を注いだ同園名誉園長で県ハンセン病予防協会(現・県ゆうな協会)元理事長の犀川一夫(さいかわ・かずお)氏が七月三十日午後九時五十一分、死去した。八十九歳。東京都出身。自宅は非公表。葬儀・告別式は七日午後一時から東京都中央区銀座四ノ二ノ一、日本基督教団銀座協会で。喪主は妻珠子(たまこ)さん。

 一九四四年東京慈恵会医科大学卒。日本のハンセン病隔離政策に矛盾を感じ、六〇年から海外での医療活動に取り組む。六四年からWHO西太平洋地区らい専門官、七一年から八七年まで沖縄愛楽園園長。県内で在宅治療と啓蒙活動に尽力した。

 県ゆうな協会(元県ハンセン病予防協会)の具志堅博一事務局長(69)は「残念です。ハンセン病をなくすために生涯をささげてきた方だった」と悼んだ。

 「日本でいち早く在宅療養を唱えた。国内で主張が認められないと、台湾やアジアで実績をつくり、沖縄での実践に取り組んだ。温厚で誰からも愛される人柄だったが、芯が通っていて粘り強く、『社会がハンセン病患者を受け入れ、同化させない限り、治療は終わらない』が口癖だった」

 愛楽園の元自治会長で、現在は副会長を務める小底秀雄さん(67)は「優しさの中にも厳しさがある方だった。『入所者自身がへこたれていては駄目なんだ』と、退所者を園の職員に採用したりしていた。入所者の信頼も厚かった」と振り返った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011700_04.html

 

2007年8月1日(水) 夕刊 5面

糸数氏へ当選証書/「沖縄問題解決へ努力」

 七月二十九日投開票された参院沖縄選挙区に当選した糸数慶子さん(59)への当選証書付与式が一日午前、県庁であった。

 県選挙管理委員会の阿波連本伸委員長は「良識の府として参議院にかける国民の期待は大きい。県民の声を国政に反映させるべく、職責を全うしてほしい」と述べ、当選証書を手渡した。

 糸数さんは「福祉、生活、平和、基地問題など沖縄が抱える課題解決のため、百三十七万県民の負託に応えられるようしっかり努力したい」と述べた。式には選対幹部や後援会の多くの女性支持者、野党県議、市議らが同席。晴れやかな笑顔で当選証書をお披露目する糸数さんに大きな拍手を送っていた。

 糸数さんは七日国会に登院する予定。任期は二〇一三年七月二十八日まで。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708011700_05.html

沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月28日、29日、30日)

2007年7月28日(土) 朝刊 1・26面

「命令主体は戦隊長」/裁判の核心著作 宮城さん証言

「集団自決」訴訟/助役妹証言「決定的」

 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、住民に命令を出したとする著作への誤った記述で名誉を傷付けられているとして、旧日本軍の戦隊長らが作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店に慰謝料などを求めた訴訟の証人尋問が二十七日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。座間味島の「集団自決」について記した「母の遺したもの」の著者で、女性史研究家の宮城晴美氏(57)が被告側の証人として出廷。宮城氏は「住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官。戦隊長命令がいつどこで具体的に出されたかは分からないが、命令の主体は戦隊長」と証言した。

 母・初枝さんの手記を基に記した「母の遺したもの」で、住民の「集団自決」が梅澤裕戦隊長による命令ではなかったとした点について「(村の幹部が梅澤氏を訪ねた)一九四五年三月二十五日の夜のやりとりのことで、あくまで母の個人的な体験。自分の目の前では命令がなかったということです」と述べた。

 初枝さんから託されていたノートの手記の中に「あの晩の後のことは私には皆目分かりません」との記述があることを明らかにした。

 「母の遺したもの」では、住民に「集団自決」を命じたのは兵事主任兼防衛隊長(助役)の宮里盛秀さんだったと、反対尋問で従来とは認識が変わっていることを指摘された。宮城氏は盛秀さんの妹の宮平春子さんから、盛秀さん自身が軍の命令を受けていたとの証言を今年六月になって直接聞いたと説明。

 宮平さんの証言は、軍による命令を裏付ける決定的な証拠だとし、反対尋問には「体験者が涙ながらに口を開いてつらい体験を語る時に、都合のいいように言葉を選んで身内をかばうようなことはできない」と反論した。

 宮城氏は、原告の梅澤氏が「集団自決」を覚悟した村の幹部に「決して自決するでない」と言って帰したと主張していることについて、「今晩はお帰りください」と言ったにすぎないと考えられるとした。

 初枝さんの記憶は鮮明で「決して自決するでない」と言ったとすれば母は手記に書いていると述べた。宮城氏は「もし梅澤さんが『死なずに投降しなさい』と言っていればあんなに多くの人が死なずにすんだと思う」と話した。

 同日午後は、渡嘉敷島の戦隊長の副官だった県出身の知念朝睦氏(84)も証言に立ち、「赤松(嘉次)隊長が住民に『集団自決』を命じたことはない」などと主張。沖縄タイムス社の「鉄の暴風」にある知念氏の心情を記した部分は正しくないなどと語った。


大江氏11月9日出廷


 【大阪】沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」をめぐる訴訟で、作家の大江健三郎氏が十一月九日に被告本人尋問で出廷することが決まった。二十七日の証人尋問後に原告、被告側両代理人が大阪地裁内で進行協議し、申し合わせた。同日は原告の戦隊長と、弟ら二人も証言する。

 同訴訟は九月十日に福岡高裁那覇支部法廷で所在尋問(出張法廷)があり、渡嘉敷村で「集団自決」を体験した金城重明氏が証言。

 十二月二十一日に双方が最終準備書面を提出し、結審する。判決は本年度内に言い渡される見通し。


[ことば]


 「集団自決」訴訟 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決」をめぐり、旧日本軍の座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(90)と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟の秀一氏(74)が、住民に「集団自決」を命じたという著作への記述で名誉を傷つけられているとして、作家の大江健三郎氏と岩波書店に出版の差し止めと謝罪広告の掲載、慰謝料二千万円を求めた訴訟。対象となっている書籍は、大江氏の「沖縄ノート」と家永三郎氏の「太平洋戦争」。二〇〇五年八月に大阪地裁に提訴され、証人尋問までに九回の口頭弁論があった。高校の歴史教科書検定では、「集団自決」への軍関与の表現が削除された際の根拠の一つになった。


     ◇     ◇     ◇     

解説/原告側の根拠に反論


 二十七日に大阪地裁で行われた「集団自決」訴訟の証人尋問で、原告、被告双方の焦点は宮城晴美氏の証言だった。座間味島の「集団自決」について記した宮城氏の著作「母の遺したもの」は、戦隊長命令を否定する原告側主張の根拠だったが、被告側の証人として宮城氏が反論し、切り返した。

 主尋問と反対尋問にはそれぞれ約一時間が費やされたが、座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏が住民にじかに命令したかを争点にする原告側と、軍の存在や関与といった全体状況から問題の本質をとらえるべきだとする宮城氏との間で、議論はかみ合わず平行線をたどった印象が強い。

 宮城氏は著作について、部分的に検証不足があったことを認め、証言の中で「書き換えに向けて準備を練っている」と述べた。戦隊長による命令については、「(母親の初枝さんの体験だけでは)隊長命令があったかどうかは分からない」とする一方で、「集団自決」は日本軍の指示・命令で、同時に最高指揮官である戦隊長の指示・命令であることを強調した。

 原告・戦隊長側の代理人は「梅澤氏が住民の『集団自決』に責任がないとは言っていない」と述べるなど軍の関与や責任があることを認める一方で、訴訟の争点はあくまで、戦隊長による住民への直接的な命令があったかどうかだとしている。

 原告側が「戦隊長による命令があったかどうかは分からない」という宮城氏の認識の一部を使って、新たに主張を重ねてくる可能性もある。(社会部・粟国雄一郎)


島の全権 戦隊長が握る/安仁屋・沖国大名誉教授


 被告側証人の宮城晴美氏は、本人の著作を都合よく引用している原告側の反対尋問を的確に、揚げ足を取られることなく証言した。評価できる。九月の金城重明氏の証人尋問につなげることができたと思う。

 当時の慶良間諸島は空も海も陸もすべて敵に囲まれている「合囲地境」の状況。そこに民政はない。「集団自決」は軍が全権を握っている中で起きた。赤松氏が渡嘉敷島、梅沢氏が座間味島で全権を任されている状況であり、赤松氏の副官だった知念氏も当然、その認識を持っていたはずだ。

 原告側証人の知念氏は米軍に投降して伊江島から渡嘉敷島に移された住民を殺害している。また、赤松隊は朝鮮人軍夫、学校の教頭をスパイ容疑や敵前逃亡の理由で殺害している。「集団自決」と「住民虐殺」は表裏一体。「天皇の軍隊」である日本軍が島にいたからこそ起きた。われわれ県民は、日本軍の中に県出身者がいたことをあらためて認識する必要がある。

 皆本氏は手榴弾は軍が管理し、防衛隊員には配ったが、民間人に配布していないとしている。だが、防衛隊も軍隊。防衛隊は、命令なくして住民に手榴弾を配ることはできない。住民の証言によると、赤松隊は軍の命令を伝える兵事主任に手榴弾を持ってこさせて住民に配っている。すべての責任は、全権を握っていた赤松氏にある。軍命なしに「集団自決」が起きたわけでないことは明らかである。(談)


皆本義博さん/隊長動向知らぬ


 赤松戦隊長は、陸軍士官学校の卒業生としては珍しく温容な人。渡嘉敷島では村落に宿泊し、住民に心から歓迎してもらった。今も交流は続いている。

 赤松戦隊長から部隊が住民に対して自決の命令を出したとは一切聞いていないが、一九四五年三月二十六日から二十八日にかけての赤松戦隊長の動向については知らない。

 自決の翌日、偵察に行った部下が住民がたくさん死んでいるのを見たというので「貴様、本当に見たのか」と叱責した。私は、戦闘準備で精いっぱいだったので自決現場は見ていない。「集団自決」は、住民の中にサイパンで断がいから島民が飛び降りたことを聞いたことが影響していると思う。飛び降りた七割は、沖縄県出身者だった。渡嘉敷島で手榴弾は防衛隊にだけ配り、民間人に配ったことはない。


知念朝睦さん/隊長の命令ない


 戦隊長から「集団自決」命令を受けたことはない。「集団自決」に軍として責任があるかということは、考えたこともない。

 「鉄の暴風」には地下壕の中で将校会議を開き、戦隊長が「非戦闘員をいさぎよく自決させなければいけない」と言ったと書かれているが、そのような事実はない。戦隊長は慈悲のある人だった。しかし、住民が捕虜になることは許さなかった。米軍から脱走してきた少年や伊江島の女性、大城教頭らの処刑は戦隊長の口頭の命令で行った。

 大詔奉戴日の儀式は一九四四年九月に渡嘉敷島に上陸してから毎月、軍から将校や兵隊が参加していたが、村の人がいた記憶はない。そこで「米軍が上陸してきたら自決するように」と訓示したこともない。


宮城晴美さん/自決命令明らか


 座間味島での「集団自決」は日本軍の命令で起こった。当時、駐屯していた海上挺進第三戦隊の最高指揮官は戦隊長で、住民にとって天皇に匹敵する存在だった。絶対的な責任がある。

 私は著書などで母・宮城初枝の証言を基に、戦隊長からの命令は無かったと書いてきた。

 しかし、六月二十四日に座間味村の宮平春子さんに会い、兄で兵事主任だった宮里盛秀助役(当時)が「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と述べていたと聞いた。決定的な証言だ。

 当時、村の行政は完全に戦隊長の傘下に入り、戦隊長から村長や兵事主任に命令が伝わっていた。また、軍官民共生共死の一体化方針などもあり、住民は誰もが「集団自決」が戦隊長からの命令だと認識していた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_01.html

 

2007年7月28日(土) 朝刊 27面

体験者の無念 代弁/隊長側、重ねて否定

 【大阪】大阪地裁で二十七日開かれた「集団自決」訴訟の証人尋問。原告の戦隊長側と、被告の大江・岩波側の証人が約五時間にわたって主張をぶつけ合った。被告側証人の宮城晴美さんは座間味島での聞き取りを通じ、「集団自決」に軍命があったと断言。体験者の無念さや絶望感を代弁した。一方、原告側は渡嘉敷島に駐屯した戦隊長の元部下らが「戦隊長からの命令は聞いていない」と繰り返した。逃亡した住民の処刑など日本軍の加害を裏付ける証言もあり、法廷は緊迫感に包まれた。

 宮城さんは上下黒のスーツで出廷。約二時間、落ち着いた口調で答えた。

 軍命の有無について、宮平春子さんが、座間味村の兵事主任で助役(当時)だった兄の宮里盛秀さんから聞いた「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」との証言を引用。

 内容の信ぴょう性に疑義を唱える戦隊長側に「自決した人の本当の気持ちを聞いたことがありますか?」と問い掛け、「泣きながら子どもを抱いて自決に追い込まれた犠牲者に、言葉を自分でつくるゆとりはない」と語気を強めた。

 戦隊長側の証人に立った、海上挺進第三戦隊長の副官だった県出身の知念朝睦さん。沖縄戦の実相を描いた「鉄の暴風」に記述された「米軍が上陸したら玉砕するように」との戦隊長からの指示を「あります」と認めたが、すぐに「聞いた覚えはない」と訂正、岩波側に追及されると「記憶がない」と答えた。

 米軍の捕虜になって逃げ帰った二人の少年が戦隊長に「汚名をどうつぐなうか」と追及され首をつった事件で、岩波側は「戦隊長は捕虜になることを許さなかったのか」と質問。知念さんは「ううむ…」と考えた末に「はい」と認め、投降を許さなかった当時の軍の方針を明らかにした。

 知念さんは投降勧告した伊江島の女性を銃で処刑したことなども証言した。


捏造証言元職員「援護課に勤務」

原告側反論


 被告側が前回の弁論で、軍命を捏造し、渡嘉敷島住民に援護法を適用させたとする元琉球政府職員の証言について、援護法の適用方針が明確となった一九五七年には援護課におらず、「信用できない」と主張したことを受け、原告側は二十七日、琉球政府の援護事務嘱託辞令(五四年十月付)と旧軍人軍属資格審査委員会臨時委員辞令(五五年五月)を証拠として提出。五四年から元職員が援護課に勤務していたと反論し、「元職員は、援護事務の一環として住民の自決者についても情報を集め役所に提出。この結果が後に、『集団自決』に援護法適用が決定されたときの資料として活用された」と主張した。


「命令あった」反対尋問切り返す/宮城さん


 「自尊心を傷つけられてもいい。答えるチャンスをもらった」

 二十七日午後、約二時間の証人尋問を終えた宮城晴美さんは、淡々と語った。

 法廷では、はっきりした口調で反対尋問を切り返した。座間味村の兵事主任で助役(当時)だった宮里盛秀氏の妹・宮平春子さんが証言したことで、隊長命令はなかったとした認識を変更することに触れ、「新たな証言が出たので、認識を変えたことについて答えることがしんどかった」と語った。

 母の希望でまとめた著書「母の遺したもの」の証言の一部が原告側の自決命令がなかったとする主張に使われたが、この日まで沈黙してきた。証人尋問を前に、宮平さんが証言したことに後押しされたという。

 著書の表現の仕方で反省する部分もあるとし、「原告側は沖縄戦の実相や『集団自決』の悲惨さをまったく分からず、個人の名誉を勝ちとろうとすることだけを野放しにしてはいけない」と強調した。証言後は、「亡き母に『集団自決』は軍が仕向けたということを原告側へ伝えられたことを報告したい」と語り、大阪地裁を後にした。


論戦 双方手応え

「関与認めた」「混同明らか」


 沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」をめぐる訴訟は二十七日、証人尋問が始まった。出廷した代理人や傍聴した関係者は、互いの主張や相手の矛盾を引き出せたとして、それぞれに手応えを感じていた。

 琉球大学の高嶋伸欣教授は「戦隊長側が『集団自決』への軍の関与や責任を認めたのは大きな成果だ」と指摘。「集団自決」への日本軍の関与を削除した高校歴史教科書検定の根拠が崩れたとの認識を強調した。

 歴史教育者協議会の石山久男委員長は、戦隊長側証人の皆本義博さんの証言に着目。「戦隊長からの命令はなかったという主張だが、『集団自決』前後に一緒に行動していないことが分かった。命令がないと証明できないことになる」と述べた。

 一方、戦隊長側代理人の徳永信一弁護士は、大江・岩波側証人の宮城晴美さんについて「戦隊長の命令と軍命や軍の責任は明確に分けて考えるべき問題だが、これらを混同していることが明らかになった」と指摘。

 戦隊長から直接の命令があったことは立証されていないとの認識を示した。


琉大教授ら抗議決議


 琉球大学教授職員会(会長・上里賢一法文学部教授)は二十七日、定例総会で文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する記述から日本軍の関与が削除されたことに抗議する特別決議を採択した。

 決議文は「戦後歴史学の成果である沖縄戦の研究や体験者の証言の集積によって明らかになっていることは、沖縄戦における『集団自決』は軍隊による命令、強要、誘導なしには起こりえなかった」と指摘。「検定結果が著しく沖縄戦の実相を歪め、戦争の本質を覆い隠し、生命の犠牲を賛美するのではないかと危惧する」とし、文科省に対し、修正指示の撤回と記述の回復を求めた。決議文は文部科学省と県、大学当局などに送付する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_02.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月29日朝刊)

[教科書検定撤回]

知事の真意が計りかねる

 文部科学省の高校教科書検定で「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除されたことについて、検定撤回と記述の回復を求める声が高まっている。超党派の県民大会開催に向け、県子ども会育成連絡協議会などでつくる準備実行委員会が発足、全県規模の参加を呼び掛ける。

 歴史を改ざんする動きに県民が怒りと強い危機感を持っていることの現れだ。県内四十一市町村すべての議会が全会一致で意見書を可決、県議会による二度の意見書可決はそうした県民の思いを反映している。

 それにしては県民の総意を代弁すべき県の対応が見えない。とりわけ、仲井真弘多知事の発言は真意がどこにあるのか、はっきりしない。

 知事は二十七日の定例記者会見で、検定撤回をめぐる現状について「かなりの目的(削除撤回)は達成しつつあるのではないかという感じを持っている」と述べた。

 何を指して「かなりの目的は達成しつつある」と見ているのだろうか。今月四日、安里カツ子副知事ら県内の行政・県議会六団体代表の撤回要求に、文科省の布村幸彦審議官は「審議会が決めたことに口出しできない」と述べ、困難との姿勢を堅持。伊吹文明文科相は「日程上の都合」を理由に、面談にすら応じなかった。

 塩崎恭久官房長官は十一日の県議会での異例の再可決を受けても撤回要求に応じる考えはないことを示した。政府が県民の要望に応じる姿勢は見られない。

 知事が県益のため、政府と良好な関係を保つことは重要だろう。ただ、知事のよって立つところは県民の総意だ。やむなく、県民と政府が対峙した場合の対応もおのずとはっきりしている。実際、知事は六月八日には「個人の率直な気持ち」としながらも「当時の社会状況から考えて軍命はあったと思う」と踏み込んでいる。

 「かなりの目的は達成しつつある」と言うなら、何が達成されつつあるのか、県民への説明が必要である。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070729.html#no_2

 

2007年7月30日(月) 朝刊 1面

糸数氏圧勝 返り咲き/参院選

 参院選沖縄選挙区(改選一)は二十九日投票され、即日開票の結果、野党統一候補で無所属の元職、糸数慶子氏(59)=社民、社大、共産、民主、国民新党推薦=が全県選挙で最高得票となる三十七万六千四百六十票を獲得。自民公認で前職の西銘順志郎氏(57)=公明推薦=に十二万七千三百二十四票の大差で返り咲きを果たした。

 糸数氏は、年金問題や歴史教科書検定問題などで安倍政権批判を展開し、「沖縄から政治を変えよう」と与野党逆転を訴え、「平和の一議席」を奪還した。

 西銘氏は六年間の実績を訴えながら「自立への一議席」を掲げ、県政・国政との連携をアピールしたが、年金問題などの「逆風」で苦戦を強いられ、二期目の鬼門を突破できなかった。県知事選、参院補選を連勝した自公態勢にとっては手痛い敗北で、国政与党の退潮の影響を受け、県内政局が流動化する可能性も出てきた。

 沖縄選挙区の投票率は60・32%で、主要選挙で過去最低だった四月の参院補選を12・51ポイント上回り、二〇〇四年の前回参院選を6・08ポイント上回った。

 与野党を代表する有力候補の一騎打ちとなり、年金問題や改憲論議、米軍普天間飛行場移設などの基地問題、経済振興などを争点に、総力戦が繰り広げられた。

 糸数氏は「年金問題は政府与党の失政。憲法改悪で戦争ができる国を狙っている」などと政権批判を強め、与野党逆転を訴えた。県知事選や参院補選の連敗で危機感を持つ革新支持層の動きも活発化。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除された高校歴史教科書検定への反発で、運動は草の根的な広がりを見せ、保守内部の政権批判票も取り込んだ。

 県知事選など全県選挙を三度経験した抜群の知名度も生かし、都市部をはじめ全県で圧勝。大票田の那覇市をはじめ、全十一市を制する地滑り的な大勝となった。

 西銘氏は「自立への一議席」を前面に打ち出し、国政安定による県政発展を訴えたが「逆風」を受けた。知事選、参院補選と連勝を重ねた自民、公明、経済界の組織力が今選挙では発揮できなかった。

 全面的に支援した仲井真弘多知事の求心力低下は避けられず、来年の県議選や次期衆院選などの人選、態勢づくりにも大きく影響しそうだ。

 糸数慶子(いとかず・けいこ)

 1947年生まれ、読谷村出身。読谷高校卒業後、バス会社に入社し、平和ガイドとして沖縄戦の状況を説明するなど平和運動に携わった。92年県議選で初当選、3期12年務めた。2004年7月参院選沖縄選挙区初当選。06年11月の県知事選に立候補した。


平和憲法守る


 糸数慶子氏の話 国政運営が県民、国民から懸け離れており、政権を変えてほしいという思いが当選につながった。年金や暮らし、教科書改ざんの問題を改めさせ、平和憲法を守っていく。基地問題では、縮小と即時撤去の訴えが受け入れられた。新基地を造らせないということを国会で訴えたい。沖縄の立場を理解する議員を増やし、市民グループとも連携して活動していきたい。


逆風強過ぎた


 西銘順志郎氏の話 年金問題や政治と金の問題、加えて県内では歴史教科書問題など、出だしから空気が重かった。いくら笛を吹いても踊ってくれないような状況があった。一つ一つ丁寧に説明し、終盤は確かな手応えを感じることができるようになったが、あまりにも逆風が強過ぎた。いずれにしても、私の不徳の致すところ。ご支援をいただいた皆さんには感謝したい。


     ◇     ◇     ◇     

沖縄政策に不満噴出/解説


 参院沖縄選挙区(改選数一)で、野党統一候補の糸数慶子氏(59)が「平和の一議席」を奪還、大勝したことは、年金問題や改憲論議などで強硬姿勢を示す安倍政権の改革路線に「ノー」を突きつけたことを意味する。「政治とカネ」や失言など度重なる閣僚の不祥事だけではなく、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題、海上自衛隊の名護市辺野古沖の事前調査参加など、沖縄の歴史認識や復帰後の複雑な感情を無視した同政権の沖縄政策に対する怒りが噴出した結果だ。(07年参院選取材班・与那原良彦)

 沖縄タイムス社と共同通信社などの出口調査を見ると、糸数氏は社民、共産、民主など推薦を受けた政党の支持層の九割前後を固め、無党派層からも約八割の支持を得た。さらに、自民、公明支持層の三割弱が糸数氏に投票したもようだ。

 西銘陣営の幹部は「逆風の中、政府、与党に『ヤーチュー(お灸)しよう』という不満がわき上がったのだろう」との見方を示したが、安倍政権批判が西銘氏大敗につながった可能性は大きい。

 一方、糸数氏は「追い風」を受けての勝利だといえ、これで野党陣営の立て直しが図られたと取るのは早計だ。

 安倍政権を批判する姿勢は共通するものの、改憲や日米安保などで主張が違う政党の共闘は「野合批判」が付きまとい、実際の政権交代の政策協定は容易ではない。

 国政の場において、資金力などで勝る民主党が今後、党勢を伸ばせば、県内の共闘のバランスが崩れる恐れがある。

 労組は弱体化し、政治離れは否めない。復帰運動や多くの選挙戦を戦ってきた革新活動家の高齢化、基地問題よりも生活や経済振興を重視した有権者の動向も見逃せない。今回の参院選も基地問題の争点は薄れ、年金問題などの生活密着問題が最大の争点になった。政策の練り直しも必要になる。

 豊富な運動量を誇る自民、公明の与党態勢は今回、経済界の動員力を軸にした勝利の方程式を発揮できなかった。今後の立て直しが迫られるが、経済界の一部からは「応援しても見返りはない。選挙応援を見直したい」と強い不満の声も聞かれる。

 経済界主導の選挙戦は政治家の動員力を低下させ、経済界依存を強めてきたが、その主体を担ってきた建設業界が業績悪化に苦しむように“選挙負担”に悲鳴も上がる。参院で民主党が第一党になったことを機に、自公一辺倒だった経済界の対応が変化する可能性も否定できない。

 来年六月には県議選がある。民主、そうぞうの候補者増も予想され、乱立傾向が強まると予想される。

 県内政局の流動化は、仲井真県政の不安定化につながりかねない。早期解散が現実味を帯びてきた次期衆院選も含め、県内では、新たな政治枠組みが構築される可能性が高まってきた。


知事、西銘氏敗北「残念」


 仲井真弘多知事は二十九日夜、西銘順志郎氏の敗北について「私の公約実現に向けた強力なパートナーが一人いなくなるのは非常に残念。ベテランの敗北は政策を展開していく上でも影響は大きい」と落胆した口調で語った。那覇市内の西銘選対で記者団の質問に答えた。

 西銘氏の敗因については、年金記録不備問題や閣僚の問題発言などを挙げ、「われわれの陣営も一生懸命やったが、有権者に対するアピール度が足りなかった」と与党への逆風が大きな敗因との認識を示した。

 また、米軍普天間飛行場の移設に向けた事前調査への海自艦投入や「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題などを念頭に「政府の対応も県民感情を逆なでするものだった」と指摘し、政府の沖縄への配慮不足も敗因の一つとの認識も強くにじませた。


基地政策に影響なし/政府


 【東京】参院選で与党の議席が過半数を割り、沖縄選挙区で糸数慶子氏が当選したことを受け、政府側は「これで政府の沖縄政策が変わることはない」「基地政策は合意通り進める」などと冷静に受け止めている。

 沖縄選挙区の争点の一つである基地問題で、糸数氏は米軍普天間飛行場の即時閉鎖・返還を主張したが、防衛省幹部は「普天間移設はすでに実施段階に入っている。合意通りに進めていくだけだ」と淡々と語った。

 民主が参院の第一党となったことにも「(米軍再編への協力度合いに応じて地方自治体に交付金を支給することを柱とした)米軍再編推進法が五月の通常国会で成立済みだ」と述べ、基地政策に影響はないとの見方を強調した。

 内閣府幹部も沖縄選挙区の結果について、全国的な与党への逆風が沖縄にも影響したとの見方を示した上で、「内閣府など政府の沖縄政策への不信任とは受け止めていない」と指摘。

 与党の大敗に「沖縄で直ちに基地問題などへの対応が劇的に変わるとは思わないが、慎重さが求められてくるのではないか」と述べ、普天間移設などで強硬的な姿勢を取りづらくなるとの認識を示した。


普天間移設への「姿勢変わらず」/名護市長


 島袋吉和名護市長は二十九日夜、米軍普天間飛行場の県内移設に反対する糸数慶子氏が当選したことについて「年金や政治資金の問題で政府への逆風が強く、普天間飛行場の移設問題は争点の一つだが、(結果としては)争点にはならなかった」との認識を示した。

 その上で「名護市の代替施設を可能な限り沖合へ寄せてくれというスタンス、県と連携して普天間飛行場の三年以内の閉鎖状態を求める姿勢は変わらない。沖縄の保守候補が負けたからといって、国が移設計画を高飛車に進めるようなことがあってはならない」とくぎを刺した。


県内投票率 上昇60・32%


 参院選沖縄選挙区の最終投票率は60・32%で、前回(二〇〇四年七月)を6・08ポイント、過去最低だった〇七年四月の同選挙区補欠選挙を12・51ポイント上回った。参院選で60%を超えたのは一九八九年以来、十八年ぶりとなる。

 全国的な争点となった年金問題などのほか、県内では高校歴史教科書の検定問題への関心の高さなどが背景にあるとみられる。期日前投票が有権者の12・38%に当たる十三万二百四十四人で、同制度施行後最高だった二〇〇六年知事選を一万九千六百三十八人上回ったことも投票率アップにつながった。

 十一市平均が59・70%、郡部が62・44%。東村と久米島町を除く市町村で前回を上回った。男女別では男性が59・53%、女性が61・08%。

 県内の参院選の投票率は一九九二年に58・51%と初めて60%を割り込んだ。九八年に58・98%と若干回復したが、その後は二〇〇四年、〇七年補欠選と過去最低を更新していた。


県内テレビ各局3分内に「当確」


 参院選沖縄選挙区の投票が締め切られた二十九日午後八時、テレビ各局は選挙特報番組で糸数慶子さん(59)の当確を次々に速報した。琉球朝日放送(QAB)が同午後八時、琉球放送(RBC)と沖縄テレビ(OTV)は同一分、NHK沖縄放送局は同二分にそれぞれ当確を伝えた。沖縄タイムス社は同八分に、当確を伝える電子号外をホームページ上に掲載した。

  

早々と当確が決まり、支持者と「バンザイ」して喜ぶ糸数慶子氏(中央)=29日午後8時5分、那覇市銘苅・選対事務所(古謝克公撮影)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301300_01.html

 

2007年7月30日(月) 朝刊 23面

慶子スマイル復活/教科書・基地問題へ意欲

 「政治を県民、国民の手に取り戻す」。二十九日の参院選沖縄選挙区で圧勝し、国政への返り咲きを果たした糸数慶子さん(59)は、引き締まった表情で抱負を語った。歓喜に沸く選対本部で、孫から受け取った花の冠を頭に載せると、笑顔がはじけた。「与野党逆転の訴えが受け入れられた」と振り返り、「県民の支持を基盤に、沖縄の課題を訴える」ときっぱり。一方、西銘順志郎さん(57)は「あまりにも強い逆風が吹き過ぎた」と悔しさを隠さず、「私の不徳の致すところ」と頭を下げた。投票終了と同時に糸数さんの当確が速報され、選対本部は静まり返った。

挫折越えたくましく


 午後八時から民放各社が当選確実を相次いで報じた直後、糸数さんは那覇市銘苅の選対本部に入った。突然電気ブレーカーが落ち、事務所の照明が消えたが、暗闇の中でも構わず支持者と固い握手を繰り返した。

 「初めて敗北を味わったことが、参院選にかける意気込みにつながった」。報道陣に囲まれ、昨年の知事選を振り返った。県議選三期、参院選一期と連戦連勝の政治生活で、初めて経験した挫折だった。

 再出発となった今回は長かった髪を切り、選対本部が発足する前から一人で朝の街頭に立った。台風が直撃した公示翌日の十三日朝も街頭に出ようとして、スタッフに必死に止められた。

 「支持者を見つけたら、すぐ駆け寄って握手。走り回るので、追っかけるのが大変でした」と、ウグイス嬢の親里利希さん(28)。選対幹部や家族も「後がない危機感がばねになった」「すごいファイトだった」と、そろって舌を巻いた。

 再び獲得した「平和の一議席」。糸数さんは報道陣に硬い表情の理由を問われ、「県民の思いを受け止めてしっかり活動したいと、緊張した顔になったと思います」と、白い歯をのぞかせた。「年金、教科書改ざん、基地…」と、当選後に取り組む課題を七つも列挙し、全力投球を誓った。

 「この気持ち、この思い、すべて沖縄のために」。沖縄の平和を訴え続けた政治活動、平和ガイドの経験と重なるキャッチフレーズ。選挙中は口にしようとするたびに涙ぐんでしまったが、最後の支持者へのあいさつではきちんと言い切った。「私の魂のすべてを沖縄のためにかけます」。最後は晴れやかな表情を浮かべた。


     ◇     ◇     ◇     

「逆風、四つも五つも…」/西銘さん、心境複雑


 那覇市牧志の西銘さんの選対本部。情勢の劣勢が伝えられ、開票前から重苦しい雰囲気に包まれた。午後八時すぎ、各テレビ局が次々に「糸数さん当確」を伝えると、さらに沈黙が広がった。集まった支持者から「随分早く出たな」のつぶやきも。

 午後八時四十分ごろ、選対本部に入った西銘さんは、拍手で出迎えられ、支援を受けた仲井真弘多県知事や、選対幹部と握手を交わした。報道陣のインタビューに応じ「開票もしないうちに相手候補に当確が出て、気持ちの整理がついていない」と複雑な心境を吐露。

 年金や歴史教科書などの問題を挙げて「逆風が四つも五つも重なり、嵐のようだった」と苦しい選挙を振り返った。今後の政治活動については「今のところ白紙の状態」とだけ述べた。

 最後は支持者に「ありがとうございました」と頭を下げ、一人一人と握手を交わし選対本部を後にした。

 那覇市前島の自営業、新嘉喜嘉枝子さん(59)は「あんなに燃えたのはなんだったのか。落選を信じられない」とぼうぜんとした表情で語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301300_02.html

 

2007年7月30日(月) 朝刊 23面

「集団自決」修正/全国地理研も決議

 地理教育研究会は二十八日、石川県金沢市で行った第四十六回全国大会で「沖縄戦の教科書記述に対する不当な検定の撤回を要求する決議」を了承した。同会は全国の小・中・高校・大学の地理教育研究者が参加している。

 決議は、高校歴史教科書の沖縄戦記述から「集団自決(強制集団死)」への軍関与が削除されたことを、「歴史的事実の抹消」と糾弾。四月以降の、県内全市町村議会や県議会の二回にわたる検定撤回を求める決議にも触れ、速やかな検定結果の撤回を求め、住民虐殺・「集団自決」記述の恒常化を要求している。

 大阪地裁で行われている岩波・大江裁判にも言及し、九月十日、渡嘉敷の「集団自決」生存者・金城重明氏の証言のために福岡高裁那覇支部で開かれる出張法廷の審理を公開するよう大阪地裁に求めている。

 決議は文科省や大阪地裁などに送付する予定。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301300_03.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月30日朝刊)

[参院選開票結果]

安倍政治への不信任だ


ねじれ生じ波乱は必至

 参議院が大きく動いた。郵政選挙といわれた二〇〇五年九月の総選挙の際、自民党の側に大きく振れた振り子は、最大といっていい振れ幅で今回、民主党の側に振れた。

 自民党は歴史的な惨敗を喫して参議院第一党の座から転落、公明党を含む与党は過半数を維持することができなかった。

 衆議院では与党が三分の二を超え、参議院では野党が過半数を超えるというねじれが生じたことになる。国政の波乱を予兆させる選挙結果だ。

 沖縄選挙区は野党統一候補で無所属の糸数慶子氏が自民公認・公明推薦の前職西銘順志郎氏を大差で破り、国政への返り咲きを果たした。

 昨年十一月の知事選、四月の参院補選で連敗した野党にとって、今度の参院選は、奈落に沈むか立ち直りのきっかけをつかむか、のがけっぷちの選挙だった。今度の勝利で再生への足掛かりをつかんだことになる。

 参院選の沖縄選挙区はこれまで、中央政治の影響を受けつつも、沖縄に固有の争点を前面に押し出して争われることが多かった。「基地と経済」という復帰以来の争点がそれだ。

 「経済の与党、基地の野党」という構図は、沖縄の選挙事情を語るキーワードであり続けた。

 だが、今度の選挙では、個別の政策争点に加えて、安倍政治そのものが争点化した。選挙期間中、無党派層や自民・公明支持層の一部からもしきりに「安倍政権にお灸を据えたい」という声が聞こえてきた。

 糸数氏が大差で勝ったということは、安倍政治に対して沖縄の有権者が強い拒否反応を示し、「ノー」の審判を下したことを意味する。

 年金問題であらわになった行政不信、「政治とカネ」をめぐる閣僚の不祥事と安倍晋三首相の事後対応のまずさ、うんざりするほど続いた閣僚の失言。今度の選挙は全国的に安倍政権に対する有権者の怒りが爆発した選挙だった、といっていい。

 安倍首相にとっては、就任後初めての本格的な国政選挙だった。その選挙で支持層からも見放され、大敗を喫したことの意味を安倍首相は深刻に受け止める必要がある。


歴史の見直しに危機感


 西銘氏は告示前から逆風にさらされ、最後まで「負の連鎖」をはね返すことができなかった。

 県知事選、参院補選で連勝した勢い。自公と経済界の強固な組織力。かつての革新共闘会議を思わせるような圧倒的な運動量。勝てる要素があったにもかかわらず大敗を喫してしまったのは、逆風がいかに強かったかを物語っている。

 年金問題は沖縄選挙区でも大きな争点になった。「集団自決」(強制集団死)の記述をめぐる教科書検定問題や憲法改正の動きに対しても、有権者は敏感だった。

 歴史認識や戦後体験などウチナーンチュの琴線に触れるテーマが浮上したために、野党支持層だけでなく、広範な有権者から「このまま進むと大変なことになる」という危機感が生まれた。退職教員など沖縄戦や米軍統治を経験した世代の動きが目立ったのも今回の特徴だ。

 西銘陣営は年金や教科書検定問題に対して、選挙期間中、「政府に喝」というチラシを配って政府の対応を批判した。選挙のための選挙用の主張ではなく、選挙後もその姿勢を貫き、喝を入れてほしい。

 暗礁に乗り上げている普天間飛行場の辺野古移設問題について仲井真弘多知事は、難しい判断を迫られることになりそうだ。辺野古移設に明確に反対を示した糸数氏が当選したことは、参院選とはいえ、それなりの重みを持つものである。安易な妥協を許さない県民意思の表れ、と受け取めたい。


野党は立て直しが急務


 県内の野党各党は、今度の選挙結果で取りあえず一服ついた、といえる。だが、この結果は野党にとって、体制立て直しのための猶予期間が与えられたとみるべきだ。

 かつて革新陣営の「接着剤」の役割を果たしたのは社大党である。だが、今の社大党にその力はない。民主党は影響力を増しつつあるとはいうものの、沖縄ではまだ野党第一党の地位を占めるに至っていない。野党陣営の中にリーダーシップの取れる政党がいなくなったのだ。

 反自公勢力の課題が今度の選挙で克服されたとはいい難い。そのことを冷静に見つめたほうがいい。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070730.html#no_1

 

琉球新報 社説

07参院選 「良識の府」を取り戻せ

 年金問題を最大の争点とした第21回参院選は、29日投開票が行われ、年金問題を追い風にした民主党が躍進し議席を大きく伸ばしたのに対し、自民党は改選議席を大幅に減らし惨敗した。

 与野党が一騎打ちの激しい戦いを繰り広げた沖縄選挙区は、無所属で野党各党から推薦を受けた元職の糸数慶子氏が、自民公認で公明推薦の前職・西銘順志郎氏を破り当選した。

 与党は自民、公明両党の非改選議席を合わせて過半数を割り込んだ。安倍晋三首相は、昨年9月の就任以来、初めて臨んだ全国規模の国政選挙で国民から極めて厳しい審判を下された。

 一方、民主党は参院の第一党に躍り出た。小沢一郎代表が描く次期衆院選での政権交代の道筋が現実味を帯びてきたと言えよう。

自ら招いた逆風

 参院選の結果は、衆院選とは違い、政権選択に直接結び付くものではない。とはいうものの、安倍政権にとっては、今回の選挙結果は不信任を突き付けられたも同然である。

 各種世論調査で与党の劣勢が伝えられた以後、自民党執行部は首相の責任問題の火消しに躍起になってきた。首相自身、続投を表明している。だが今後、進退問題に発展する可能性も否定できない。

 有権者はなぜ民主党に多くの議席を与えたのか。

 重要法案を強調する割には、与党の国民への説明は不十分で、国会では与野党の論議が深まらないまま、対立法案を強引に採決にかける姿勢が目立った。先の通常国会の会期末で乱発した強行採決が好例である。

 衆院で議席の3分の2を占める巨大与党を背景に「数の論理」で押し切る政治手法を推し進め、与野党の合意が軽視される。こうした「安倍政治」への異議申し立てでもある。猛省を促していると受け止めるべきだ。

 国民は、首相が掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」に対しても、もっと丁寧な説明を求めているのではないか。国の行方や国民の暮らしを左右する重要法案に対して、慎重に論議を尽くすことを政治に強く期待しているはずだ。首相をはじめ、政府与党は国民の期待や願いには耳を傾け、常に謙虚であるべきだ。今後の国のかじ取りに生かす必要がある。

 与党を惨敗に追い込んだのは言うまでもなく、年金問題を中心に吹き荒れた「逆風」にある。しかし逆風は、決して自然発生的に起きたのではない。その源は、政府与党に発しているのだ。自らまいた種である。

示せるか存在意義

 年金問題だけではない。原爆投下について「しょうがない」と公示直前に発言し辞任した久間章生前防衛相の失言もしかり、説明責任を果たさない赤城徳彦農相の事務所費問題もしかりである。

 首相はこれらの問題に指導力を発揮できなかったばかりか、逆にかばい続けた。国民の怒りを買い、不信が広がり、不安をもたらしたのは当然だ。

 発足から10カ月。この間の「安倍政治」は、沖縄選挙区の行方にも影を落とした。

 米軍普天間飛行場の移設問題では、十分な説明もなく、名護市辺野古海域の環境現況調査(事前調査)で海上自衛隊が投入された。

 文部科学省の歴史教科書の検定では、沖縄戦の「集団自決」をめぐる軍の関与に関する記述が削除・修正された。県民の総意である検定の撤回と記述の復活要求は一顧だにされない。

 いずれも県民にとってはゆるがせにできない重大な事柄だ。新たな基地を造らせないことなどを軸に「平和の1議席」を訴え、平和な暮らしをアピールした糸数氏の勝因にもつながっている。

 自民党の記録的ともいえる大敗で選挙は幕を閉じた。だが年金制度の抜本的な制度の設計、政治とカネの問題など選挙戦で争点になったさまざな問題は片付いていない。国民の立場に立った制度の在り方をめぐる議論などは、むしろこれからだ。3年後には与党による憲法改正の発議も予想される。

 今の参院は、「良識の府」と呼ぶには懸け離れすぎている。党利党略が優先され、衆院の議決をなぞって追認するだけでは参院の機能は果たせない。今回の結果で参院での論議に緊張が戻ってくることを期待したい。参院の存在意義を示してほしい

(7/30 9:48)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25866-storytopic-11.html

 

2007年7月30日(月) 夕刊 1・6面

圧勝の糸数氏/早急に年金問題着手

 参院沖縄選挙区(改選数一)で返り咲きを果たした野党統一候補で元職の糸数慶子氏(59)=社民、社大、共産、民主、国民新党推薦=は三十日午前、沖縄タイムス社の諸見里道浩編集局長のインタビューに答えた。約三十七万六千票という過去最高の得票に「年金問題や増税、歴史教科書の改ざん、新基地建設の強行など、弱者や沖縄を切り捨てる安倍政権への不安や怒りが渦巻いていた。県民が自公の安倍政権にノーを突きつけた」と議席奪還の意義を述べた。

 当選後、早急に取り組む課題としては「まず年金問題に着手し、年金通帳導入や基礎年金を税で賄う仕組みなど国民が安心できる制度改革を実行したい」と語った。

 さらに、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除された高校歴史教科書検定問題を挙げ、「検定を撤回させ、記述を回復させる県民運動を展開し、沖縄戦の歴史を戦争を知らない若い人に伝えるようにしたい」と述べた。

 自民党大敗という国民の審判には「安倍首相は責任を取って辞任すべきだ」と強調した。

 改憲の動きに対しては「安倍政権が国民投票法を成立させ、改憲を推し進めることに県民の危機感は強まっている。九条を変える憲法改悪で戦争ができる国にしようとする安倍政権への県民の怒りが投票結果に表れた」とした。

 米軍再編については「基地負担は軽減されず、抑止力の維持だけが重視され、基地の固定化と強化につながっている」と批判。「日米安保条約ではなく、東アジア全体の平和を視野に入れた条約締結が必要だ」と提言した。今後の国会活動は無所属の立場を貫くことを表明した。


     ◇     ◇     ◇     

憲法・生活 期待熱く


 沖縄選挙区で野党統一候補の糸数慶子さん(59)、比例区で社民公認の山内徳信さん(72)が当選を決めた参院選。年金問題や改憲論議、基地問題、経済振興、教科書検定…。山積する課題に今後、どう取り組むのか。期待とともに、県民の厳しい目が注がれている。

 浦添社会保険事務所に年金受給の手続きに訪れた同市の砂辺松隆さん(66)は「私は年金をちゃんと受給しているが、もし『消えた年金問題』が自分の身に降りかかっていたらと思うと許せない」と憤る。

 当初、過去の領収書を持ってこないと納めた証拠にならないなどとしたことに「誰が何十年前の領収書など残すのか。国のやり方はひど過ぎる」と指摘。「ぜひ、年金問題や沖縄戦の記述をめぐる歴史教科書問題で頑張ってほしい」

 二人の子どもの子育てが落ち着き、四月からハローワークに通い仕事を探している南風原町の主婦、吉元あかねさん(29)は「子育てをしながら仕事をして行くことが理想。(糸数)慶子さんは女性として共感できる。子育てと仕事を両立させてきた先輩としても大いに期待したい」と話した。

 六月に県内五カ所目の「憲法九条の碑」を南風原町内に建立した「町憲法九条の会」の新垣安雄さん(65)は「沖縄では、高校歴史教科書の検定問題が野党側への追い風となった。教科書問題の根底にあるものは、憲法改定に対する県民の危機意識だ」と指摘。「沖縄からしっかりと憲法を守ってほしい」と力を込めた。

 宜野湾市の普天間飛行場から発生する騒音に日夜悩まされているという比嘉昌也さん(31)=同市佐真下、建築業=は同飛行場の辺野古移設について「県内でたらい回しにしても、解決にはならない」と、新基地建設に反対する糸数さん、山内さんの手腕に期待した。


普天間移設/反対派「運動後押し」


 米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設に反対する糸数慶子さんが沖縄選挙区で当選したことで、反対派住民らは今後の動向に期待感をにじませている。一方で、移設推進派は移設への影響はないとみている。

 ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「これまで政府は強引に移設問題を進めてきたが、選挙区で糸数さん、比例区で山内徳信さんが勝利したことで、沖縄の声がより国に届きやすくなった。基地問題だけではないが、名護市でも糸数さんが勝利したことは、これからの運動の大きな後押しになる。今後の仲井真県政にも、影響してくるのではないか」と期待した。

 移設を推進する荻堂盛秀名護市商工会長は「参院の沖縄選挙区で保守一人が負けたからといって、国の基地政策が手のひらを返したように変わることはないと思う」として移設に影響はないとの認識。辺野古区出身の島袋権勇名護市議会議長は「移設は日米両政府の合意。参院選で負けたことでの影響はない。相手候補へ流れた票は、年金問題や大臣の不適切発言への反発であり、基地問題に対する県民の怒りでない」と、「基地」が争点となっての敗戦ではないことを強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301700_01.html

 

2007年7月30日(月) 夕刊 7面

「予定通り実施を」/四軍調整官が知事訪問

 在沖米軍トップのリチャード・ジルマー四軍調整官(中将)が三十日午前、着任あいさつのため、県庁に仲井真弘多知事を訪ねた。

 ジルマー中将は在日米軍再編について「在日米軍、日本政府、沖縄県にとって重要。スケジュール通り実施されることを希望しており、私もそれにかかわっていきたい」と述べ、米軍普天間飛行場移設問題などを日米合意に基づいて実施する姿勢を強調した。

 仲井真知事は「米軍再編はどんどん前に進めた方がいいと思っている」と指摘。普天間飛行場移設問題については「県内では十年以上議論しており、早く終わらせたいというのが私の率直な思い。そのために日本政府と話をしているところだ」と説明し、事態の早期打開に取り組む考えを示した。

 仲井真知事は、米軍関係者の事件・事故やトラブル防止も要請した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301700_03.html